優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:四国八十八ヶ所

遍路
神恵院と観音寺の境内にはクスノキの巨木がありました。クスノキはもとは台湾、ベトナム、中国南部といった暖地に生息していたもので、日本では本州西部、四国、九州に多く見られます。

このクスノキの下にお接待をされる方たちがいらっしゃいました。そろいのオレンジ色の衣で、お遍路さんの白衣をオレンジ色にしたような感じです。背中に「南無大師遍照金剛」と書かれているのは同じです。
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紫木蓮
神恵院の本堂は2002年(平成14)に新しく建てられたコンクリート打ちっ放しで白木と組み合わされています。本堂に向かうところと庭園の隅にシモクレンが咲いていました。IMG_2355
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納経所では、掛軸に御朱印をいただかれているお遍路さんに出会いました。車でお遍路をされているそうでこれで五日目だということでした。歩き遍路はなかなか時間がとれないでしょうから、車で回る方が多いのでしょう。大きな筒状のものを抱えてお参りされている方は、掛軸だったのです。IMG_2363
「私もお遍路しようかなと思てるねん」と姉が言いました。御朱印帳を持っていて、参拝した寺社仏閣では御朱印をいただいています。歩き遍路なのか、車での遍路なのかわかりませんが、体力の許すうちにやるのがいいのでは、と思いました。IMG_2364


つつじ
神恵院の開基は法相宗の高僧・日証上人といわれています。703年(大宝3)琴弾山で修行中に宇佐八幡宮のお告げを受け、海上で神船と琴を発見。琴弾山に引き上げて琴弾八幡宮として祀りました。その神宮寺が神恵院の起源です。IMG_2365
807年(大同2)弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊とし、後に神恵院として68番霊場となりました。その後、明治維新の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離され、神恵院は観音寺境内に阿弥陀如来とともに移転し、現在に至っています。IMG_2357
神恵院には巍巍園(ぎぎえん)という回遊式庭園があります。1976年(昭和51)の土砂災害により、大部分が失われましたが、今も残っているところは手入れがいきとどき、ツツジが咲きそろっていました。IMG_2359


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