優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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夏の朝
コシアカツバメが最も盛んに活動するのは日の出と日の入りの頃です。その頃が彼らが餌とする虫たちの活動も活発なのでしょう。

ツバメの巣であれば、ヒナの様子は外からでもよくわかります。コシアカツバメの巣はトックリを半分に切ったような形で、入口が狭く中の様子はあまりわかりません。それでも時々巣の入口から顔をのぞかせているのを見ることがあります。
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夏の朝
午前5時前に目覚め活動開始です。夜明けは確実に遅くなっています。病気のせいか鎮痛剤の副作用か不明ですが、午後からは眠くなってしまうので午前中に集中して活動します。

最近は朝食を食べた後、電子ピアノで「バッハのインヴェンション」を1時間ばかり弾きます。これを弾いているときの集中した感覚がたまりません。その後、洗濯をしました。

近頃は掃除が趣味になっていて、トイレと浴室の掃除をし、掃除機をかけて拭き掃除もやりました。一通り仕事を終えてベランダから空を見上げると下弦の月が残っていました。
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夏の朝
抗magニューロパチーの診断をきっかけに、またピアノを弾き始めました。『バッハ インヴェンションとシンフォニア』を1から順番に練習し、現在4番まで来ています。

こどもの頃少しだけピアノの経験があり、以前買った安い電子ピアノで練習を再開しました。いま一番熱を入れてやっているのがこのピアノの練習です。朝食後ピアノに向かい1時間強弾いています。

弾いていると指の動きとは別に頭の中にとりとめもないことが浮かんできます。それに気づきつつ指の動きにその都度気持ちを集中させます。意外にもこれが瞑想に似ているのです。
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夏の朝
最近テレマンをYouTubeでよく聴きます。ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)は後期バロックを代表する作曲家です。彼の『ターフェルムジーク』は日本語で言えば”食卓の音楽”です。貴族の宴会で好んで演奏されました。

このYouTubeのサムネイルに使われているのはジャン=フランソワ・ド・トロイ(1679-1752)の『オイスターディナー』(1735)です。ルイ15世の依頼でヴェルサイユ宮殿の小居室のダイニングルームの壁を飾るために描かれました。

これを聴きながらこの絵を見ていると、18世紀ヨーロッパの貴族社会の食事のイメージが湧いてきます。BGMとして流れていて心地よい曲です。穏やかに包み込むように流れ続け、聴いていて疲れないのです。
Troy,_Jean-Francois_de_-_Die_Austernmahlzeit_-_1734

夏の朝
土曜日の朝は晴れていて、道路わきにある花壇の植え替えをされているのが見えました。四国地方の梅雨入りが発表されました。近畿地方は今週中でしょうか。今年の梅雨入りは遅めで、関東地方は6月後半になりそうだとの予報です。
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夏の朝
「ブラッサム大分」の朝食は和洋食の一方を選択するものとバイキングの組み合わせでした。席につくと和洋の別をたずね、それを記した札を置いていかれます。松花堂弁当的にまとめられたものがバイキングを取りに行っている間に運ばれています。

デザートも機能的で少しずつ小さな容器に分けて用意され、いろいろちょっとだけ味わってみたいという気持ちにこたえています。こういうところが日本的おもてなしのサービスという気がします。
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夏の朝
厳しい暑さが続いています。災害級の暑さだそうです。朝、熱中症への注意を促す地域放送が聞こえてきました。歳時記に「日射病」は載っていますが「熱中症」はありません。21世紀になってから使われるようになった感覚があります。

しかし、実際には古くからあった言葉で「熱に中(あた)る」という意味であり、熱による中毒です。熱中症は気温だけでなく、湿度とも関係があります。人間は目に見えなくても常時汗をかいており、それが蒸発することによって体温を下げています。

そのため、湿度が高すぎて汗が蒸発しなかったり、水分不足で汗をしっかり出せなかったりすれば体温を下げることができず熱中症になります。蒸し暑い部屋で眠れば夜でも熱中症になるのです。
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夏の朝
水田が埋め立てられて十数軒ほどの宅地が売りに出されており、その一画に小さな公園が作られていました。こういう公園を近隣でもよく見かけます。滑り台などの遊具とベンチがいくつか置かれているものです。

こういうものは何軒かまとまった造成地には作らなければいけないと決められているのでしょうか? まだ遊具類は設置されたばかりでビニールカバーがかかっていました。
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夏の朝
歳時記を見ると「唐辛子」や「ピーマン」は秋の季語と記されています。植物は品種改良などにより栽培される時期が変ってきています。実際に目にするものと歳時記とが異なる場合、その語は季語として採用せず、春夏秋冬を入れて季節を示すようにしています。

歳時記は和歌から続く伝統ですが、その中でも何をどの季節のものとするかは微妙に変化し続けています。生活の変化で死語になってしまったものもあります。それでもそれらの語が掲載され続けるのは明治や江戸の句を鑑賞するためには必要だからです。

今日の句の場合、朝に畑で目にしたピーマンのつややかな緑が感動の中心です。それを伝えたかった。俳句の「感動」は、美談とか感涙にむせぶような大げさなものではなく、こういう何気ないものだと思っています。
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夏の朝
ひとりで散歩する面白さはゆっくり景色を眺められることにあります。季節の変化を敏感に感じられるのもこういう時です。

一方、バイクや自転車では入っていけないようなところに入れる面白さもあります。田畑が住宅地に変わったところでもその間には必ず水路が残っています。その横には整備するための歩道があり、そこを辿って歩くことが可能です。

両側は家なので見通しはききませんが、表から見えるのとはまた違う家の姿を眺められます。子どもの時の探検気分です。
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