タグ:夏の朝
夏の朝下弦の月が中天に
ピアノ弾くことは瞑想夏の朝
◆夏の朝
抗magニューロパチーの診断をきっかけに、またピアノを弾き始めました。『バッハ インヴェンションとシンフォニア』を1から順番に練習し、現在4番まで来ています。
こどもの頃少しだけピアノの経験があり、以前買った安い電子ピアノで練習を再開しました。いま一番熱を入れてやっているのがこのピアノの練習です。朝食後ピアノに向かい1時間強弾いています。
弾いていると指の動きとは別に頭の中にとりとめもないことが浮かんできます。それに気づきつつ指の動きにその都度気持ちを集中させます。意外にもこれが瞑想に似ているのです。
抗magニューロパチーの診断をきっかけに、またピアノを弾き始めました。『バッハ インヴェンションとシンフォニア』を1から順番に練習し、現在4番まで来ています。
こどもの頃少しだけピアノの経験があり、以前買った安い電子ピアノで練習を再開しました。いま一番熱を入れてやっているのがこのピアノの練習です。朝食後ピアノに向かい1時間強弾いています。
弾いていると指の動きとは別に頭の中にとりとめもないことが浮かんできます。それに気づきつつ指の動きにその都度気持ちを集中させます。意外にもこれが瞑想に似ているのです。
赤子抱く父とあいさつ夏の朝
◆夏の朝
最近テレマンをYouTubeでよく聴きます。ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)は後期バロックを代表する作曲家です。彼の『ターフェルムジーク』は日本語で言えば”食卓の音楽”です。貴族の宴会で好んで演奏されました。
このYouTubeのサムネイルに使われているのはジャン=フランソワ・ド・トロイ(1679-1752)の『オイスターディナー』(1735)です。ルイ15世の依頼でヴェルサイユ宮殿の小居室のダイニングルームの壁を飾るために描かれました。
これを聴きながらこの絵を見ていると、18世紀ヨーロッパの貴族社会の食事のイメージが湧いてきます。BGMとして流れていて心地よい曲です。穏やかに包み込むように流れ続け、聴いていて疲れないのです。
最近テレマンをYouTubeでよく聴きます。ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)は後期バロックを代表する作曲家です。彼の『ターフェルムジーク』は日本語で言えば”食卓の音楽”です。貴族の宴会で好んで演奏されました。
このYouTubeのサムネイルに使われているのはジャン=フランソワ・ド・トロイ(1679-1752)の『オイスターディナー』(1735)です。ルイ15世の依頼でヴェルサイユ宮殿の小居室のダイニングルームの壁を飾るために描かれました。
これを聴きながらこの絵を見ていると、18世紀ヨーロッパの貴族社会の食事のイメージが湧いてきます。BGMとして流れていて心地よい曲です。穏やかに包み込むように流れ続け、聴いていて疲れないのです。
集まりて花壇植え替え夏の朝
デザートをいくつ並べて夏の朝
熱中症の注意放送夏の朝
◆夏の朝
厳しい暑さが続いています。災害級の暑さだそうです。朝、熱中症への注意を促す地域放送が聞こえてきました。歳時記に「日射病」は載っていますが「熱中症」はありません。21世紀になってから使われるようになった感覚があります。
しかし、実際には古くからあった言葉で「熱に中(あた)る」という意味であり、熱による中毒です。熱中症は気温だけでなく、湿度とも関係があります。人間は目に見えなくても常時汗をかいており、それが蒸発することによって体温を下げています。
そのため、湿度が高すぎて汗が蒸発しなかったり、水分不足で汗をしっかり出せなかったりすれば体温を下げることができず熱中症になります。蒸し暑い部屋で眠れば夜でも熱中症になるのです。
厳しい暑さが続いています。災害級の暑さだそうです。朝、熱中症への注意を促す地域放送が聞こえてきました。歳時記に「日射病」は載っていますが「熱中症」はありません。21世紀になってから使われるようになった感覚があります。
しかし、実際には古くからあった言葉で「熱に中(あた)る」という意味であり、熱による中毒です。熱中症は気温だけでなく、湿度とも関係があります。人間は目に見えなくても常時汗をかいており、それが蒸発することによって体温を下げています。
そのため、湿度が高すぎて汗が蒸発しなかったり、水分不足で汗をしっかり出せなかったりすれば体温を下げることができず熱中症になります。蒸し暑い部屋で眠れば夜でも熱中症になるのです。
造成地に公園新し夏の朝
ピーマンのつやつやと生り夏の朝
◆夏の朝
歳時記を見ると「唐辛子」や「ピーマン」は秋の季語と記されています。植物は品種改良などにより栽培される時期が変ってきています。実際に目にするものと歳時記とが異なる場合、その語は季語として採用せず、春夏秋冬を入れて季節を示すようにしています。
歳時記は和歌から続く伝統ですが、その中でも何をどの季節のものとするかは微妙に変化し続けています。生活の変化で死語になってしまったものもあります。それでもそれらの語が掲載され続けるのは明治や江戸の句を鑑賞するためには必要だからです。
今日の句の場合、朝に畑で目にしたピーマンのつややかな緑が感動の中心です。それを伝えたかった。俳句の「感動」は、美談とか感涙にむせぶような大げさなものではなく、こういう何気ないものだと思っています。
歳時記を見ると「唐辛子」や「ピーマン」は秋の季語と記されています。植物は品種改良などにより栽培される時期が変ってきています。実際に目にするものと歳時記とが異なる場合、その語は季語として採用せず、春夏秋冬を入れて季節を示すようにしています。
歳時記は和歌から続く伝統ですが、その中でも何をどの季節のものとするかは微妙に変化し続けています。生活の変化で死語になってしまったものもあります。それでもそれらの語が掲載され続けるのは明治や江戸の句を鑑賞するためには必要だからです。
今日の句の場合、朝に畑で目にしたピーマンのつややかな緑が感動の中心です。それを伝えたかった。俳句の「感動」は、美談とか感涙にむせぶような大げさなものではなく、こういう何気ないものだと思っています。