優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:大仙古墳


御陵通りを渡り大仙公園に入りました。孫太夫山古墳、竜佐山古墳という陪塚が大仙古墳とは垂直にまるで飛鳥の方角を指すように並んでいます。バーベキュー広場で肉を焼く香りが漂っていました。

いこいの広場を歩いて行くと桜が何本も咲いています。ソメイヨシノとしては早すぎるので河津桜かと思いましたが、大漁桜という品種のようです。そのあたりでお弁当を広げている人たちの姿があり、私たちもそうすることにしました。
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木の芽時
大仙古墳はエジプトのクフ王ピラミッド、中国の始皇帝陵と並び世界三大墳墓とされています。全長約486m、三重の濠も含めた長さは850mあり、JR三国ヶ丘駅から百舌鳥駅までひと駅分にあたります。

今は樹木に覆われていますが建造当時は墳丘が三段階に構築されていました。大阪湾はもっと内陸部まで入り込んでおり、海からやってくる外交使節に見せることも目的のひとつだったと考えられています。

百舌鳥・古市古墳群は難波から京のあった飛鳥へと続く場所に建造されており、それらの人々が海から見上げ、京に向かう途上で目にすることを意識し方角も決めていたようです。重機などなかった時代にいったいどうやって造ったのか、想像を遥かに超えています。
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春風
大仙古墳は日本最大の前方後円墳で、周りには10基以上の陪塚があります。陪塚とは大型の古墳に付属する規模の小さな古墳で、通常、主墳と同じ時期に建造されます。

銅亀山古墳は大仙古墳の南西隅の外堀近くにある陪塚のひとつで、一辺26mの方墳とされてきました。ただし、最近の調査では一辺40m以上とも考えられ、日本最大の方墳の可能性も出てきています。平成23年(2011)の発掘調査で円筒埴輪が出土しました。

陪塚には従属的な人物が埋葬される場合もあれば、被葬者の権力を示すための武具、農工具、石製の祭祀具など多数の品物が埋められていることもあります。
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芽柳
大仙古墳の周囲は三重の濠で囲われており、そのさらに外側に鋼鉄製の柵が巡らされています。柵のそばに芽吹き始めた柳がありました。今年は暖かくなるのが早く、花や木の様子が一週間から十日ほどは早いようです。

古墳は宮内庁によって管理されており、周囲の松は丁寧に剪定されています。一般人は立ち入ることができません。堺市役所の展望ロビーでボランティアガイドさんから聞いた話によれば、墳墓の丘には道があり、バイクで走ることもできるそうです。
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八重紅梅
遅咲きの八重紅梅がきれいなお宅もありました。仁徳天皇陵に出会うまで西高野街道を歩き、そこから古墳の外堀の西側に沿って大仙公園を目指しました。学校では仁徳天皇陵と習いましたが、厳密には古墳に誰が葬られているのかはわかっていません。

最近では大仙古墳と呼ばれることが多くなっています。明治5年(1872)の調査で前部から刀剣、甲冑、ガラス製の皿と壺などが出土しました。すぐ南の履中天皇陵よりも後で作られたとわかっており、日本書紀の在位順とは逆です。
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春霞
大阪府堺市の百舌鳥・古市古墳群へハイキングに行ってきました。青春18切符の適用期間なので、それを使いました。出発は三国ヶ丘駅から。まず堺市役所を目指しました。市役所の21階の展望ロビーから古墳群を眺められます。

一帯には大仙古墳(仁徳天皇陵)をはじめ、大小さまざまな古墳があります。古墳が大きすぎて地上からでは全貌がわかりにくいことから、この展望ロビーが設けられたようです。それでも大仙古墳が前方後円墳であるとわかるほど上から見ることはできません。

無料で利用でき、ロビーからは百舌鳥古墳群を眺められるだけでなく、あべのハルカス、大阪城なども見え、生駒山系、大阪湾を隔てて六甲山も望めます。この日は霞がかかって見えませんでしたが、明石海峡大橋、淡路島も見える日があるようです。
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