優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:太平記

睡蓮
登山口へ向かう途中に睡蓮の咲く池があり、池の中では錦鯉が泳いでいました。『播磨鑑』によれば、建武3年(1336)建武の乱で楠木正成(南朝)との戦いに破れた足利尊氏(北朝)は九州に逃れます。

これを追う新田義貞(南朝)が播磨に侵攻。対する白旗城の赤松円心に呼応して、赤松則祐は感状山城に立てこもり50日余りに渡って新田義貞軍を足止めします。後にその功績により、足利尊氏より感状が与えられ、これが山の名前になりました。
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早春
日曜日に散歩をしていると、田んぼの中に五輪塔がたっていました。『太平記』によれば、暦応4年(1341)足利家の執事である高師直の讒言にあった塩谷高貞は都落ちします。彼の妻は後醍醐天皇から授けられた弘徽殿三位局(顔世御前)でした。

彼女は高貞の郎党に守られ子どもたちとともに逃れるところ、ここ陰山の里で追手に追いつかれてしまい焚堂に火を放って自害します。奮戦した武将たちを村人たちが葬り、遺骸の歯が目だったことから「歯神さん」と呼ばれるようになったとのことです。

その後、村を災厄から守る道祖神のような存在になっていきました。周囲に新しい住宅地が広がる中でも大切に守られている様子がわかります。
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秋の日
『太平記』の21巻に塩谷高貞が幕府執事の高師直の讒言にあって破滅する話があります。讒言の原因は高貞の美しい妻に師直が横恋慕したことです。これによって高貞は謀反の疑いをかけられ領国の出雲に向かいます。

高貞の妻子らは播磨の国蔭山(現在の姫路市)で追手に追いつかれ、火を放って自害します。この妻子らを弔っているのがここ圓通寺です。ただし、塩屋高貞の謀反は史実ですが、妻への横恋慕うんぬんは全くの創作です。

その後、赤穂事件をこの太平記の話に置き換えて『仮名手本忠臣蔵』が成立しました。高師直も吉良上野介もとんだとばっちりで悪人にされ、気の毒な話です。
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