優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:姫路城

万緑
姫路城は世界遺産登録30周年を迎えます。子どもの時はそれがそこにあるのが当たり前でした。しかし、大人になって日本中の城を見る機会を持ち、姫路城の貴重さに気づきました。「ふるさと」の貴重さに気づくのは、実は成人後ではないかと感じます。

子どもの頃は東京などの大都会に憧れていました。今は姫路は実に住みやすいところだと感じています。海も山もすぐそこにあり、交通は便利。人は多すぎず少なすぎず、冬は温暖で雪はほとんど降りません。台風の被害も少なく津波の心配もありません。
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梅雨空
コミュニケーションは実は繊細な気遣いを必要とする高等テクニックです。多くの人が最大のストレスを人間関係にあげ、それが身近な人であればそのストレスの度合いが大きくなります。親子間、夫婦間の関係の破綻がいい例です。

それらの問題は常に人を悩ませ人を傷つけます。それでもそういう関係を持たずにいられないのが人間というものです。うまくいっているうちは実に心地よく、安心でき、素晴らしい感覚を与えてくれるからです。

親友、仲間、同僚などといわれる家庭の外における人間関係も度合いこそ違え似たようなものでしょう。無差別殺人や金銭目当て以外、ほとんどの殺人事件は身近な関係で起きます。感情のもつれ、つまりコミュニケーションの破綻です。
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春惜しむ
急用があり姫路駅まで行ってきました。GWでさすがに観光客が多く、大きなスーツケースを転がして歩いている人の姿をあちこちで見ました。駅の展望デッキ「キャッスルビュー」から北を望むとまっすぐに伸びる大手前通りとその向こうに聳える姫路城が見えます。

平屋や二階建ての家しか無かった江戸時代、姫路城は今よりずっと遠くから見えたはずです。その存在感は現代人が感じる数倍大きかったのではと想像します。
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夏近し
姫路城は姫山と鷺山に築かれた平山城です。姫路の中心市街地の北にあり、JR姫路駅の北口を出ると真正面に大きく見えます。さらに姫路城のすぐ前にあるイーグレひめじの屋上展望台(無料)からはお城を目の前に俯瞰することができます。

現在の姫路城は徳川家康の女婿である池田輝政によって江戸時代始めに築城されました。すでに天下を手に入れた家康にとって、姫路城はそこから西にいる外様大名に対する抑えの役割を持っていました。

親豊臣派の大名たちが団結して攻め込んできた場合、最大の砦のひとつとして姫路城を位置づけていたのです。敵が攻めてきたら素早く姫路城に集結し、防御にあたります。そのため姫路城の白漆喰総塗籠方式という建築は、火に強いことを考えて設計されたといいます。
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極月
姫路城では令和4年6月29日から照明入替工事が行われています。そのため、「鏡花水月」が終了した後、ライトアップは令和5年3月24日まで中断されます。これまでの照明は平成4年(1992)に設置されたもので、それがLED照明になります。この年末年始はライトアップの無い姫路城になりますが、新しく模様替えされるのを楽しみに待ちたいです。
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「鏡花水月」では三の丸広場に8台のタワーを設けそこから光を放出して空にオーロラの世界を演出し、地上には6万球のイルミネーションを設けて波紋や水を表現しています。それらが音楽に合わせて変化し、天守と現代アートのコンビネーションで楽しませてくれます。

水面に富士山が映り込む姿を「逆さ富士」と呼びます。この夜の三の丸広場には「逆さ城」が出現していました。
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冬の夜
お堀にかかる桜門橋を渡って大手門をくぐると「鏡花水月」のメイン会場である三の丸広場に入ります。正面にはライトアップされた連立大天守が聳えています。三の丸広場の中央に巨大な水盤を設置し、そこに城の姿を映し出すという趣向です。
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姫路城ライトアップ「鏡花水月」は12月2日から11日の17:30〜21:00まで、姫路城三の丸広場で開かれています。大手前交差点の信号を渡るとお堀に浮かべられたいくつものバルーンが見えてきました。

鏡花水月とは、鏡に映る花や水に映る月のように、目には見えるけれど、手に取ることができない、そんな儚い美しさや趣を表す言葉です。光で演出された冬ならではの姫路城の美しさを堪能しました。
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十二月
先日、姫路城ライトアップ「鏡花水月」へ行ってきました。JR姫路駅からみゆき通り商店街を歩いてお城に向かいました。通りには昔から屋根があります。そこがライトアップされていて驚きました。

みゆき通り商店街も随分店の様子が変わり、子どもの頃からあった店で残っているところはほとんどありません。時代の流れに耐えて生き残って行くというのはやはり大変なことなのだと思います。
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師走
姫路城は白鷺城の別名どおりその白い姿が特徴です。これは壁、軒下など外に露出している部材を白い漆喰で塗り固めた白漆喰総塗籠という建築方式によるものです。

今の姿の姫路城は徳川家康の娘婿である池田輝政が建てました。関ケ原の戦いの直後で、姫路城は西国大名に対する備えの城であったと言われています。再び戦いが起きることを想定し、戦いに耐えられる防火性を高めた城でした。

当時の城の主流は安土城などのような黒い板壁のものでした。建築当時は無骨無粋な白漆喰総塗籠が今では特異な美しさになっています。幸い姫路城は一度も戦火にさらされることなく、空襲も生き延びてその美しい姿を見せてくれています。
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