優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:寒晴

寒晴
無調音楽のような人間の生理とかけ離れたものが20世紀にこれほど音楽界で歓迎されたのは、単に目新しかったからだけではありません。ナチスは無調音楽を排斥しました。それによって亡命を余儀なくされた作曲家もありました。

そのため、無調音楽は反ナチス抵抗運動の形を与えられ世界中に広まっていきました。戦後はそれに賛同することが反ナチスにつながるという風潮になりました。芸術は常に政治の影響を強く受けます。

20世紀を代表する芸術と言えば現代音楽、抽象絵画です。どちらもナチスからは否定され排斥されました。時代精神を映し出していたとはいえ、これほど受け入れられたのは、反ナチスという側面があったからです。
IMG_6928


寒晴
寒波の襲来で雪になるかと思っていましたが、風が強かっただけで快晴です。能登半島地震の被災地では、融雪パイプの破損で除雪車での除雪が間に合わず、住民自身がスコップで除雪されている様子を見ました。

私の車はもちろんノーマルタイヤなので、雪が降ったら乗りません。チェーンも持っていません。この冬はまだ一度も降雪がありません。こういうところに生まれ育っていたら、雪国の苦労はとても想像できません。
IMG_6922


寒晴
岩屋港のすぐそばに絵島という奇岩があります。約3万5千年前の砂岩層が削られてできたもので、国生み伝説で「おのころ島」であるといわれる場所のひとつです。

古くから月見の名所として知られ、「平家物語」の「月見」の巻に福原の新都に移った人々が海峡を渡り月を愛でながら歌会を催した、とあります。岩の上には新都建設のために人柱となった清盛の侍童・松王丸を祀る祠があるとされています。

絵島に渡る橋はあるものの入口が閉ざされていました。傍らに「千鳥なく絵島の浦にすむ月を 波にうつして見るこよいかな」との西行(1118-1190)の歌碑が立っています。今では背景に明石海峡大橋があり、西行が現代に蘇ったらどのような歌を詠むでしょうか。
IMG_6893

寒晴
ジェノバラインの「まりん・あわじ」は明石海峡大橋の橋げたの下をくぐり、淡路島の東北端にある岩屋港に入りました。

観光客の方は明石海峡大橋を見るためだけにでもこの船に乗ってみることをお勧めします。明石駅から明石港までは歩いて7分ほど、電車や車の車窓から見る橋とはまた異なる姿を間近で見られます。電車の車窓からは見慣れている身でも新鮮でした。

「まりん・あわじ」のデッキには淡路市のマスコットキャラクターが大きく描かれています。国生み神話、明石海峡大橋、タコがうまく取り入れられたキャラクターです。
IMG_6892


寒晴
明石海峡大橋がかかって以来、明石海峡を船で渡るのは今回が初めてです。明石海峡大橋は高速道路のため、125cc以下のバイクと自転車では島に渡る手段がなく、この船にもサイクリストらしい人が乗っていました。

明石港を出た船は約13分で淡路島の岩屋港に着きます。その間私たちは船室にはおらず二階から海を眺めて過ごしました。快晴で海の眺めは素晴らしく船は明石海峡大橋へと徐々に近づいていきます。
IMG_6883


寒晴
ケーブルカーが運休中でしたから、その後を山頂までつなぐリフトも止まっていました。リフトの妙見山駅横の展望台から西を眺めると、六甲山、甲山などが見渡せました。年末にはあの六甲山の上から甲山を見下ろし、今度は東から甲山と六甲山を眺めています。IMG_0844


このページのトップヘ