優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:小田原城

初夏
箱根周辺も小田原城も外国人が多かったです。中でも最も印象に残ったのが天守閣から下りてきたオレンジ色の僧服に身を包んだふたりでした。上座部仏教の僧侶だと思います。デジタルカメラを手にしていたのも、不思議な感じでした。
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夏きざす
現在の小田原城天守は1960年(昭和35年)に鉄筋コンクリートで再建されました。旧天守模型をもとにしていますが、市の要望で高欄が取り付けられ、外観が忠実に復元されているわけではありません。小田原市は城の中心部を江戸末期の姿に復元する計画で、常盤木門、銅門、馬出門も順次復元されたものです。IMG_2894
復元されたものであっても、お城という存在はいいなあと感じます。立地条件としてもともと見晴らしのよい場所であり、そこに高層階を持つ建物があるわけですから、そこから見える景色も素晴らしいものです。山城のあった山に登ることもありますが、そういう場所も例外なく展望に恵まれています。IMG_2896

薄暑
小田原城天守へは、報徳二宮神社からこども遊園地の前を抜けて行くこともできます。私はいったん神社を出て、正面入口、馬屋曲輪から住吉橋を渡り常盤木門を抜ける正規登城ルートを通って行きました。IMG_2888
1590年(天正18)、豊臣秀吉は数十万の大軍で小田原城を取り囲みます。三ヶ月の篭城戦の後、ほぼ無血で開城させ、秀吉の天下統一は完成しました。IMG_2889
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戦後、北条氏の領土は徳川家康に与えられました。江戸城に居を構えた家康は腹心の大久保忠世を小田原に置きます。巨大な小田原旧城の城郭の規模を縮小させ、17世紀に一時的な中断はあったものの明治維新まで大久保氏が居城しました。IMG_2892


蓮の葉
小田原城が初めて築かれたのは15世紀中ごろと言われます。1500年ごろに北条氏の居城となり、次第に拡張整備され、日本最大の中世城郭となりました。

しかし、明治維新後にほとんどの建物が解体され、残っていた石垣も1923年(大正12)の関東大震災で崩壊しました。現在は小田原城址公園として国の史跡に指定されています。

今年2月に熊本城へも行きましたが、熊本城は明治維新直前に燃やされてしまいました。各地にあった城の多くが幕末・維新時に壊され、残っていた広島城や名古屋城も戦災で焼失したことを思うと、姫路城がよく残ったと改めて思います。「奇跡の城」だと。IMG_2887

カラー
小田原から新幹線で帰る予定でしたので、時間まで小田原城へ行くことにしました。小田原城は北条氏の本拠地として難攻不落を誇った城です。その一画に二宮尊徳を祭神とした報徳二宮神社があります。
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二宮尊徳(二宮金次郎)は江戸時代末期の小田原に生まれた経世家、農政家、思想家です。貧しい少年時代、薪を背負いながら本を読む像は有名です。
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天保の飢饉で疲弊した600以上の村を立て直しました。「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」という言葉が彼の思想を物語っています。IMG_2883
1894年(明治27)、二宮尊徳の教えを慕う6カ国(伊勢、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、小田原城二の丸小峰曲輪の一画にこの神社が創建されました。

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