優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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はつ夏
湯山台、緑台、といった台や丘とつく新興住宅地はいったんその中に入ってしまうと、道がわかりにくいところです。どこも同じような町割りで似たような家が並び目印になるものがないからです。

しかし、ここでは川西市がハイキングコースとして紹介しているところには細やかに道標がおかれ、迷うことはありませんでした。
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初夏
満願寺境内の裏から左手に入ると愛宕原ゴルフ場のそばに出ます。ゴルフカートが走り、数人の人たちが球を打っているのが見えました。ゴルフ場の敷地に沿って山道を下っていけば湯山台の住宅地に出ます。

川西市のこのあたりは坂の街です。大阪への通勤を考え、丘陵地を切り開いて造成されたのでしょう。鉄道の駅からは遠いので、公共交通はバスです。一戸の敷地は広く、二台は駐車できるスペースがついています。庭には季節の花を咲かせよく手入れされています。

閑静な住宅街で若く体力があるうちはいいでしょう。しかし、ひとたび大きな病気をしたり車の運転もおぼつかなくなってくると、日々の外出にはなかなか厳しいところではないだろうか、と歩きつつ感じました。
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新緑
満願寺の境内には国の重要文化財である正応6年(1293)造立の九重石塔があります。他にも室町時代の造立である美女丸、幸寿丸にちなむ三廟や源氏一族の供養塔が多く並び、いずれも川西市指定史跡です。

満願寺は奈良時代の開山とされ、源氏一族の祈願寺の歴史がありますが、古い建物が残っていないのは戦国の兵乱で焼けてしまったからなのでしょう。長い歴史を経て現代まで伝わっている建造物は、奇跡的な幸運に恵まれて残っているのだと実感します。
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若楓
イロハモミジの若葉の間に点々と赤いものが見えます。翼果と呼ばれる種子です。親の木から少しでも遠くへ飛ぶように進化の過程でこうした形ができあがりました。イロハモミジは高木になりますから、落下高度も高く風の影響を期待できます。

カエデ類の花は小さく目立ちません。むしろこの翼果の方が大きく、花のように見えます。日本のカエデ類は紅葉の美しさが人に愛され、今では人の手で増える方が多く、さまざまな品種が生まれています。
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緑さす
円覚院本坊にかかっている幕には笹竜胆と左三つ巴が描かれていました。笹竜胆はここを祈願所とした清和源氏の紋所に由来するものでしょう。三つ巴の由来はわかりませんが、最も古くからある紋のひとつとしてよく知られています。
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若楓
山門を入ると両側にイロハモミジの若葉が展開していました。楓若葉の瑞々しい美しさ、それを堪能しつつ奥へと歩いていきました。

満願寺は鎌倉時代の正中2年(1325)に後醍醐天皇の勅願寺となり、室町時代に入ってからは、源氏一門である足利将軍家の祈願所となり最盛期には四十九の子院がありました。しかし、戦国の兵火を受けて衰微しました。

江戸時代に入って再び二十以上の子院を有する隆盛を取り戻したものの、次第に衰えて明治維新を迎えるころには現在本坊となる円覚院のみが残りました。
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新緑
駅前のバス乗り場で満願寺行きのバスを探したところ、次のバスまで50分ほどあり、タクシーを使っても1200円ほどなので、タクシーにしました。タクシーは住宅街の細い急傾斜の坂道をどんどん登っていきました。

満願寺は奈良時代に開かれた真言宗のお寺です。平安時代に源満仲が帰依して以来、源氏一門の祈願所となりました。山門は明治14年(1881)に再建され、仁王像は神仏分離により多田神社となった多田院から移されたものです。

山門は中央がアーチ状になった珍しい洋風の造りで、明治初期ならではの建築です。アーチの上に神秀山の額があり、その向こうに今は新緑が広がっています。
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野萱草
ナイチンゲール像のそばにノカンゾウが咲いていました。ユリに似た花で鮮やかなオレンジ色をしています。花は一日花で朝開いて夕方にはしぼみます。

ナイチンゲールのこの像は彼女がクリミア戦争の野戦病院で、傷病兵の病棟を毎夜見て周った姿を表しています。当時の野戦病院の衛生状況は劣悪で、傷病そのものよりも、病棟環境のひどさで命を落とす兵士が多かったのです。

ナイチンゲールはその状況の統計をとり、イギリス本国へ訴えました。それによって病棟は改善され、傷病兵の死亡率は劇的に下がりました。ナイチンゲールは近代看護学の創設者であるとともに、公衆衛生統計を初めて活かした先駆者でもあったのです。
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若葉
阪急川西能勢口駅からバスで満願寺へ行く予定にしていました。その前に、近くに世界に二体しかないF.ナイチンゲール像があるというので行ってみました。Googleマップにも表示されますが、本当にこんなところにあるのか、と思うようなところにあります。

場所を示す矢印があったのでそれに従って行くと、広場に出て灯を掲げた姿のナイチンゲールがいらっしゃいました。「福田海」という宗教法人の創設者が晩年大病にかかり、大阪日赤病院に入院しました。その時に受けた献身的な看護に感激し像の創立を思い立ちました。

この像はロンドンにあるナイチンゲール像を原型としています。「救苦観世音」はナイチンゲールの博愛の精神を仏教の慈悲に通じるものとし、「福田海」では観世音として崇め信仰を捧げているとのことです。近くに殉職看護師の慰霊塔もありました。
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小満
川西池田駅前周辺のマンホールには市花のりんどうがあしらわれています。清和源氏の旗印が笹竜胆だったことから採用されました。川西市は兵庫県東南部、大阪府に隣接し南北に細長く、市域はタツノオトシゴに似た形をしています。

大阪市への通勤率が20%を越えており大阪市の都市圏です。兵庫県の東南部と大阪府の北中部は、明治維新以前は同じ摂津国でした。それゆえ、兵庫県西南部にあり播磨国の中心都市である姫路市からは、やや心理的に遠い場所です。
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