優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:市川町

青葉
昼食は久しぶりにコンパクトストーブでラーメンを作り、持ち寄った野菜を入れて食べました。以前兵庫100山の全山登頂を目指していたころは、毎回こうやって山頂でラーメンを食べ、山を降りたら地元の立ち寄り温泉へ行っていたものです。

私は抗magニューロパチー(あのころはCIDPだと思われていました)になり、全山登頂は果たせないままになりました。今回の山でも登るのはやっとという感じでした。筋力はそれほど問題はないのですが、足底の感覚が鈍っている影響が大きいです。
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代掻き
川辺城は南北朝時代(1356年頃)に大野弾正忠氏が築城しました。天正年間には大野七郎左衛門らが居城し、恒屋城(姫路市香寺町)へ狼煙で合図を送っていました。天正5年(1577)からの羽柴秀吉の播磨攻めで落城しました。

「頂上まで250m」の表示へ着くと道は尾根筋に出て傾斜がやや緩やかになります。東に向かっていた道は北へ曲がりしばらく歩くと頂上です。城跡は南北12m、東西50mほどの平坦地になっています。

木々の間から麓に広がる水田が見渡せました。市川町や姫路市がある中播磨地区一帯は早稲の栽培は少なめです。田植えは6月上旬のところが多く水田にまだ水は入っていません。
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はつなつ
5月19日に市川町の川辺城跡に登ってきました。私は市川町で育ちました。しかし、この周辺は開発されて大きく様変わりし、昔の面影はありません。子どもの頃、川辺城という名前を聞いたこともありませんでした。

21世紀になって、郷土を見直し多少なりとも観光に役立てようと整備がされていったのだと思います。天気予報は午後3時ごろからから雨でしたが、それまでには登って降りてこれるだろうと予想して登ることにしました。

スポーツセンターに駐車し、案内に従って金毘羅宮への参道を登って行きました。金毘羅宮までは石段があります。そこから先は傾斜のある山道で足元は滑りやすい細かな山の土でした。登るより降りる方が注意が必要だと思いつつ登って行きました。
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