優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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紅葉散る
別府鉄道の軌道跡は「であいのみち」という遊歩道になっています。大中遺跡からJR神戸線の土山駅まで歩いてみました。1.1kmの遊歩道の両側には70種類以上の植物が植えられ、6つのタイムトンネルゲートが設けられ、歴史上の出来事の解説版も置かれています。
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小春日
ブロックの間に埴輪や土器を置いて焼き物を作っている人がいらっしゃいました。播磨町郷土資料館で土器つくりの体験講座が続けられており、そこで子どもたちが作ったもののようです。こういう施設があることで昔の人々の暮らしや工夫に思いをはせられるでしょう。

大中遺跡の弥生人は稲作を行っていたと考えられていますが、水田や米作りの道具はまだ見つかっていないそうです。一方で土器の「イイダコ壺」は数多く出土しています。海岸線は現代の埋め立て前の海岸線とほぼ同じと考えられ、大中遺跡からは直線で2kmほどです。イイダコは大中の弥生人たちの重要な食糧だったと考えられています。
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冬ぬくし
展示されている客車と機関車には自由に出入りできます。床も窓枠も木製の客車は昔懐かしさいっぱいです。ここでしばらく昼寝でもしたい雰囲気でした。機関車の運転席にも座ることができ、鉄道マニアの方にはうれしいのではないでしょうか。
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小六月
大中遺跡公園に隣接する播磨町郷土資料館の裏には昭和59年(1984)に廃線となった別府鉄道のディーゼル機関車DC302号と客車ハフ2号が展示されています。多木製肥所(現在の多木化学)が肥料製品を積みだすために大正10年(1921)に開業。開業当時の社名は別府軽便鉄道でした。
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冬ぬくし
大中遺跡公園ではクスノキの大木が目立ちました。遺跡からクスノキも発掘されたのでしょう。クスノキは関東以西に生育し生長が早く巨樹となります。兵庫県の県の木です。クスノキの木陰に住居跡の遺跡がありました。柱跡が四本わかるようになっています。
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冬浅し
大中遺跡公園の一画でノジギクが群生していました。ノジギクは兵庫県の県花です。近づくと花の甘い香りがしました。兵庫県以西の本州と四国・九州の瀬戸内海・太平洋沿岸部に自生しています。
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冬の朝
復元された弥生の住まいを順番に見ていると、一軒の家の煙出しから煙が出ているのに気づきました。回り込んでみると「防虫のため煙で燻しています」と張り紙があります。中に係員がおられて、お話をきくことができました。

ここに使われている葦は加古大池で採れたもので、公園内で乾燥させ使っているそうです。実際の弥生時代の住居がどのようなものだったかは基礎の部分しか残っておらず、上の部分は想像に基づいているとのことです。腐ってしまいますから無理もありません。

近隣から採れる材料で風雨を防ぎ眠ったり煮炊きできるような構造となると自然にこういう形の住居になるのだと思います。この住居は葦が見事に整えられており、これは茅葺職人が作られたものだとか。
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楢落葉
大中遺跡公園内にはコナラ、クヌギ、ケヤキなど遺跡から発掘された史料をもとに当時生えていたと思われる樹木が植えられています。この日は暖い日でしたが、時おり凩の前触れのような風が吹き色づいた木の葉を散らしていました。
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冬はじめ
復元された弥生遺跡の住居に入ってみました。葦で葺かれており入口は背をかがめてようやく入れるくらいです。中には柱が二本立っており、奥に炉が切ってあります。家族数人で暮らしたのでしょうか。以前アフリカへ行ったときに訪れたマサイ族の住居を連想しました。
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冬晴
大中遺跡公園には弥生時代の住居が再現されています。国指定の遺跡としては弥生時代後期のものですが、出土品には旧石器時代のものもあります。ここは温暖で海に近く住みやすい場所だったと考えられます。旧石器時代にはナウマンゾウやオオツノジカなども生息しており、それを狩っていたようです。
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