優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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次の停車駅「大隅大川原駅」は周囲を山に囲まれた中にぽつんとある駅です。駅がある曽於市財部北地区は、人口約950人・高齢化率60%超。2015年度の1日平均乗車人員はわずか6人という静かな無人駅です。

日豊本線の最高地点はこの駅と隣の北永野田駅の間、村道が線路をまたぐ地点で、標高は約368mあります。 霧島山から大隅半島へのびる山地を越える区間で、勾配は日豊本線最大の25‰。 日豊本線で最後に開通したのも、ここを含む大隅大川原〜霧島神宮駅間でした。
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「かれい川弁当」は、JR肥薩線の嘉例川(かれいがわ)駅で販売されている駅弁です。嘉例川で原木栽培された椎茸や筍を使った炊き込みご飯をベースに、鹿児島の郷土料理「がね」の天ぷらや嘉例川コロッケなどが入っています。

JR九州駅弁グランプリで3年連続グランプリに選ばれたこのお弁当をベースに、3つのメニュー(黒さつま地鶏の炭火焼き、梅と里芋のごま団子、桜島ひじきの煮物)を追加した特別バージョンが提供されています。

小さなスペースにさまざまな料理がたっぷり詰まっています。どれも美味しく、このスペースでこの味わい、と驚きます。BENTOはいまや国際語ですが、コンパクトで美しく中身が濃いものを作らせたら日本人の右に出るものはありません。
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仙厳園には見事な石燈籠がいくつかあります。最も印象に残ったのが最初に目に入ったこの鶴燈籠でした。自然石をそのまま持ってきて笠にしているところが独特です。この姿が鶴が羽を伸ばした姿に例えられてこう呼ばれています。

鶴燈籠の背後は庭園を囲む生垣で、ソテツが南国らしさを感じさせます。その向こうに国道10号とJR九州の日豊本線が走り、錦江湾を隔てて噴煙をあげる桜島が借景になっています。
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フラワーセンターは亀ノ倉池という農業用ため池の周囲に施設が作られています。フラワーセンターがある加西市などの属する東播磨一帯は全国一ため池が多い場所です。瀬戸内式気候で雨が少ないうえ大きな河川がありません。

加西市の「加」は周辺唯一の主要河川である加古川の「加」であり、東には加東市があります。亀ノ倉池は面積約7ha(甲子園球場5つ分)、東西に長く噴水は東北側にあって、周囲に四季の花壇が配されています。

池の水深は浅く、水を干しての調査で、水底から縄文時代前期(約7000年前)の石鏃(せきぞく:石製矢じり)、旧石器時代(約2万年前)の石器などが採集されています。稲作以前はなだらかなこの地で人々が暮らしていたのです。
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バスは十人ほどの客を乗せて由布岳の麓を走って行きました。正面登山口前の停留所でふたりが下車しさらに人数が減りました。

毎日こんな路線を運転していたら楽しいのではと思いますが「日常」となるとそうもいかないでしょう。しかし、今日のような快晴の日は爽快な気持ちでハンドルを握れるはずです。

すぐ東にある鶴見岳(1,375m)には別府ロープウェイがかかっています。そのバス停からは大勢のお客さんが乗ってきてバスは座り切れないほどになりました。
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由布岳は阿蘇くじゅう国立公園に含まれ、山麓は一面に草原が広がっています。今は山全体が新緑で覆われ真っ青な空とコントラストを成し、豪快な風景を形作っていました。日本二百名山、九州百名山に数えられています。
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ゴールデンウィークが終わりました。テレビを持っていませんが、ざっとしたニュースはYouTubeでも知ることができます。行楽先での痛ましい事故のニュースを見ると、「一寸先は闇」を痛感します。そのために保険が発達したのでしょうけど。

保険はオプション取引です。保険契約をしている消費者側はオプションの買い手であり、保険会社側はオプションの売り手です。

オプションというと金融の難しい話のようですが、身近なところでこのように生活を支えています。世界最初の生命保険会社は1786年にロンドンで誕生しました。日本に保険の仕組みを最初に紹介したのは福沢諭吉だとか。
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三ツ矢サイダーの発祥地は能勢電鉄の線路脇にあります。その昔、ここに「平野の湯」と呼ばれる炭酸泉がありましたが、江戸末期には廃れていました。明治14年(1881)宮内省の命を受けて炭酸泉を探していた英国人冶金学者W.ガランによって再発見されます。

明治17年(1884)から「平野水」として三菱商会が販売を開始しました。その後販売会社の変遷を経て、三ツ矢サイダーが商標登録されたのは大正5年(1916)です。現在はアサヒ飲料が製造・販売しています。

かつてはこの場所に炭酸水を製造する工場がありました。大正時代には東洋一の規模を誇り海外にも輸出されました。しかし、昭和29年(1954)西宮工場への移転に伴い炭酸飲料の製造は中止されました。跡地へは立ち入れず、金網越しに眺めるしかありませんでした。
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満願寺の境内には国の重要文化財である正応6年(1293)造立の九重石塔があります。他にも室町時代の造立である美女丸、幸寿丸にちなむ三廟や源氏一族の供養塔が多く並び、いずれも川西市指定史跡です。

満願寺は奈良時代の開山とされ、源氏一族の祈願寺の歴史がありますが、古い建物が残っていないのは戦国の兵乱で焼けてしまったからなのでしょう。長い歴史を経て現代まで伝わっている建造物は、奇跡的な幸運に恵まれて残っているのだと実感します。
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駅前のバス乗り場で満願寺行きのバスを探したところ、次のバスまで50分ほどあり、タクシーを使っても1200円ほどなので、タクシーにしました。タクシーは住宅街の細い急傾斜の坂道をどんどん登っていきました。

満願寺は奈良時代に開かれた真言宗のお寺です。平安時代に源満仲が帰依して以来、源氏一門の祈願所となりました。山門は明治14年(1881)に再建され、仁王像は神仏分離により多田神社となった多田院から移されたものです。

山門は中央がアーチ状になった珍しい洋風の造りで、明治初期ならではの建築です。アーチの上に神秀山の額があり、その向こうに今は新緑が広がっています。
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