優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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バスは十人ほどの客を乗せて由布岳の麓を走って行きました。正面登山口前の停留所でふたりが下車しさらに人数が減りました。

毎日こんな路線を運転していたら楽しいのではと思いますが「日常」となるとそうもいかないでしょう。しかし、今日のような快晴の日は爽快な気持ちでハンドルを握れるはずです。

すぐ東にある鶴見岳(1,375m)には別府ロープウェイがかかっています。そのバス停からは大勢のお客さんが乗ってきてバスは座り切れないほどになりました。
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由布岳は阿蘇くじゅう国立公園に含まれ、山麓は一面に草原が広がっています。今は山全体が新緑で覆われ真っ青な空とコントラストを成し、豪快な風景を形作っていました。日本二百名山、九州百名山に数えられています。
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ゴールデンウィークが終わりました。テレビを持っていませんが、ざっとしたニュースはYouTubeでも知ることができます。行楽先での痛ましい事故のニュースを見ると、「一寸先は闇」を痛感します。そのために保険が発達したのでしょうけど。

保険はオプション取引です。保険契約をしている消費者側はオプションの買い手であり、保険会社側はオプションの売り手です。

オプションというと金融の難しい話のようですが、身近なところでこのように生活を支えています。世界最初の生命保険会社は1786年にロンドンで誕生しました。日本に保険の仕組みを最初に紹介したのは福沢諭吉だとか。
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三ツ矢サイダーの発祥地は能勢電鉄の線路脇にあります。その昔、ここに「平野の湯」と呼ばれる炭酸泉がありましたが、江戸末期には廃れていました。明治14年(1881)宮内省の命を受けて炭酸泉を探していた英国人冶金学者W.ガランによって再発見されます。

明治17年(1884)から「平野水」として三菱商会が販売を開始しました。その後販売会社の変遷を経て、三ツ矢サイダーが商標登録されたのは大正5年(1916)です。現在はアサヒ飲料が製造・販売しています。

かつてはこの場所に炭酸水を製造する工場がありました。大正時代には東洋一の規模を誇り海外にも輸出されました。しかし、昭和29年(1954)西宮工場への移転に伴い炭酸飲料の製造は中止されました。跡地へは立ち入れず、金網越しに眺めるしかありませんでした。
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満願寺の境内には国の重要文化財である正応6年(1293)造立の九重石塔があります。他にも室町時代の造立である美女丸、幸寿丸にちなむ三廟や源氏一族の供養塔が多く並び、いずれも川西市指定史跡です。

満願寺は奈良時代の開山とされ、源氏一族の祈願寺の歴史がありますが、古い建物が残っていないのは戦国の兵乱で焼けてしまったからなのでしょう。長い歴史を経て現代まで伝わっている建造物は、奇跡的な幸運に恵まれて残っているのだと実感します。
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駅前のバス乗り場で満願寺行きのバスを探したところ、次のバスまで50分ほどあり、タクシーを使っても1200円ほどなので、タクシーにしました。タクシーは住宅街の細い急傾斜の坂道をどんどん登っていきました。

満願寺は奈良時代に開かれた真言宗のお寺です。平安時代に源満仲が帰依して以来、源氏一門の祈願所となりました。山門は明治14年(1881)に再建され、仁王像は神仏分離により多田神社となった多田院から移されたものです。

山門は中央がアーチ状になった珍しい洋風の造りで、明治初期ならではの建築です。アーチの上に神秀山の額があり、その向こうに今は新緑が広がっています。
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法沢山の登山口は県道の終点が林道へと変わっていくあたりです。典型的な過疎地帯と思われます。ところが、車を置いて歩き出して振り返ると、十字架が屋根に載ったチャペルと思われる建物がありました。

車を置いた場所の奥に一軒家があり、犬がいて自家用車も見えました。その奥にこの建物がありましたから、この家の方が建てられたのか、と思われるような素朴な作りです。信仰のためにここに暮らされているのかもしれません。
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