優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:明石海峡大橋

秋の峰
増位山の頂からは明石海峡大橋は直線距離にして40kmほどです。70km離れている大鳴門橋よりずっと近いのですが、地形的に全体像は見えません。

姫路・明石間の海岸線は南へ向かってせり出しています。大橋は途中の高御位山(304m)の影となり主塔がその稜線の向こうにのぞく程度です。
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春風
淡路島の稜線に連なって立っている発電風車の羽が回っているのが見えました。明石海峡大橋で神戸とつながったことで淡路島の北側は開発が進みどんどん変わっていて、店舗や住宅も増えています。

淡路島在住の友人によれば西海岸は風が強いそうです。洗濯物を外に干せないくらいの風が吹くとか。その風を利用するためにこれらの風車が立てられたのでしょう。
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冬の雲
海峡展望台に出て周りを見たとき、一瞬「大橋はどこ?」と思いました。ここからは明石海峡大橋を縦方向に真後ろ(あるいは真正面?)から見ることができます。高速道路の路面も見下ろす形となり、不思議な光景です。
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寒晴
岩屋港のすぐそばに絵島という奇岩があります。約3万5千年前の砂岩層が削られてできたもので、国生み伝説で「おのころ島」であるといわれる場所のひとつです。

古くから月見の名所として知られ、「平家物語」の「月見」の巻に福原の新都に移った人々が海峡を渡り月を愛でながら歌会を催した、とあります。岩の上には新都建設のために人柱となった清盛の侍童・松王丸を祀る祠があるとされています。

絵島に渡る橋はあるものの入口が閉ざされていました。傍らに「千鳥なく絵島の浦にすむ月を 波にうつして見るこよいかな」との西行(1118-1190)の歌碑が立っています。今では背景に明石海峡大橋があり、西行が現代に蘇ったらどのような歌を詠むでしょうか。
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寒晴
ジェノバラインの「まりん・あわじ」は明石海峡大橋の橋げたの下をくぐり、淡路島の東北端にある岩屋港に入りました。

観光客の方は明石海峡大橋を見るためだけにでもこの船に乗ってみることをお勧めします。明石駅から明石港までは歩いて7分ほど、電車や車の車窓から見る橋とはまた異なる姿を間近で見られます。電車の車窓からは見慣れている身でも新鮮でした。

「まりん・あわじ」のデッキには淡路市のマスコットキャラクターが大きく描かれています。国生み神話、明石海峡大橋、タコがうまく取り入れられたキャラクターです。
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兵庫県南部の冬は晴天が続きます。能登半島地震の様子を見ていて、1995年の阪神淡路大震災のことを思い出しました。淡路島北部が震源地でしたが、津波は起きませんでした。

交通網は寸断されたものの、鉄道にも道路にも迂回路がありました。同じ1月ながら、積雪がなかったため救援をはばむ気象条件は少なかったように記憶しています。

まだ明石海峡大橋はかかっておらず、基礎ができたところで震災により全長が1m延びました。あの震災の記憶が東日本大震災の救援へと活かされました。今回もきっとそれが活かされ次の減災へつながっていくと思います。
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明石海峡は播磨灘と大阪湾を分ける場所で、毎日800前後の船が行き交う海上交通の要衝です。今しも大阪湾へと入っていく船が目の前を航行していきました。

明石海峡は海上保安庁第五管区海上保安本部の担当海域になっています。神戸市に本部があり、兵庫県南部、大阪府、和歌山県、徳島県、高知県の前面海域と和歌山県、高知県の南方海域1,250kmを担当しています。

明石海峡大橋の上もまた本四架橋の一本として陸上交通の要衝です。海峡を次々航行してゆく船と大橋の上をゆく車の群れが交差する様子が眺められました。
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寒晴
明石海峡大橋がかかって以来、明石海峡を船で渡るのは今回が初めてです。明石海峡大橋は高速道路のため、125cc以下のバイクと自転車では島に渡る手段がなく、この船にもサイクリストらしい人が乗っていました。

明石港を出た船は約13分で淡路島の岩屋港に着きます。その間私たちは船室にはおらず二階から海を眺めて過ごしました。快晴で海の眺めは素晴らしく船は明石海峡大橋へと徐々に近づいていきます。
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寒風
午後から風が出てきました。明石海峡大橋が16時で通行止めになるようです。海上は強風が予想されるためで、瀬戸中央道も同じ頃から通行止めと発表されています。JRなど鉄道各社も寒波の影響で計画運休するようですね。
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極月
登山道を東に歩いて行くと木々が少し途切れ、ソヨゴとアカマツの間から明石海峡大橋を望むことができました。淡路島、四国、小豆島に囲まれた播磨灘は穏やかです。太古の時代、陸を行くよりも、この海を船で行く方が他地域との交流は容易だったと思います。
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