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春浅き国を守りし命かな
◆春浅し
能福寺の境内には神戸事件の責任をとって切腹した備前藩士・滝善三郎の墓があります。神戸事件とは、慶応4年1月11日(1868年2月4日)、三宮神社近くで備前藩兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させて銃撃戦に発展したものです。
このとき居留地予定地見分中の欧米諸国公使にも備前藩兵が水平射撃を加え、一時外国軍が神戸を占拠する事態になります。明治政府初の外交問題でした。明治政府は各国の要求を受け、砲隊の責任者の滝善三郎を切腹させて解決を図りました。
隊列を横切るのは「供割」という非常に無礼な行為で、武士としては当然の行動です。しかし、これが香港や上海のような理不尽な植民地要求に発展する可能性もあり、享年32歳の滝善三郎の命は日本史の流れを変えたとも言えます。

能福寺の境内には神戸事件の責任をとって切腹した備前藩士・滝善三郎の墓があります。神戸事件とは、慶応4年1月11日(1868年2月4日)、三宮神社近くで備前藩兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させて銃撃戦に発展したものです。
このとき居留地予定地見分中の欧米諸国公使にも備前藩兵が水平射撃を加え、一時外国軍が神戸を占拠する事態になります。明治政府初の外交問題でした。明治政府は各国の要求を受け、砲隊の責任者の滝善三郎を切腹させて解決を図りました。
隊列を横切るのは「供割」という非常に無礼な行為で、武士としては当然の行動です。しかし、これが香港や上海のような理不尽な植民地要求に発展する可能性もあり、享年32歳の滝善三郎の命は日本史の流れを変えたとも言えます。

春浅き空を映せる兵庫運河
◆春浅し
兵庫運河は神戸市兵庫区にある5つの運河(兵庫運河・兵庫運河支線・新川運河・苅藻島運河・新湊川運河)の総称です。風波が高く船舶の航行に難があった和田岬を迂回するためのバイパスとして作られました。
全長6,470m。周辺には大輪田泊や兵庫津などの歴史観光資源が点在しています。兵庫津周辺は、古くは宋との貿易を目的に平清盛が開発し、江戸時代には北前船の寄港地として栄えました。
明治に入って貿易の中心地が兵庫から神戸に移ったのを機に兵庫を再活性化させるために神戸の商人神田兵右衛門が計画し着工しました。難航していた工事に再度着工して最終的に完成させたのは八尾善四郎です。彼の銅像が高松橋西詰に立っています。

兵庫運河は神戸市兵庫区にある5つの運河(兵庫運河・兵庫運河支線・新川運河・苅藻島運河・新湊川運河)の総称です。風波が高く船舶の航行に難があった和田岬を迂回するためのバイパスとして作られました。
全長6,470m。周辺には大輪田泊や兵庫津などの歴史観光資源が点在しています。兵庫津周辺は、古くは宋との貿易を目的に平清盛が開発し、江戸時代には北前船の寄港地として栄えました。
明治に入って貿易の中心地が兵庫から神戸に移ったのを機に兵庫を再活性化させるために神戸の商人神田兵右衛門が計画し着工しました。難航していた工事に再度着工して最終的に完成させたのは八尾善四郎です。彼の銅像が高松橋西詰に立っています。
