優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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春浅し
今朝はやや寒さが弛んでいる感覚があります。真冬以上の寒さが続きましたが、気が付けば2月18日に雨水に入っており春は二番目の節気です。間もなく二月は終わり、3月5日は啓蟄で仲春になります。

歩数を確保するために短い時間を見つけて近所を歩きます。長い時間座ったままでいないということが足腰のためには最も重要なので、短時間でもたとえ5分でも歩くのはいい。

足腰だけでなく精神的にも気分が変わるのでいいです。夜、歩いていると北西方向、増位山の稜線の上に明るい星が輝いているのが見えました。
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春浅し
能福寺の境内には神戸事件の責任をとって切腹した備前藩士・滝善三郎の墓があります。神戸事件とは、慶応4年1月11日(1868年2月4日)、三宮神社近くで備前藩兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させて銃撃戦に発展したものです。

このとき居留地予定地見分中の欧米諸国公使にも備前藩兵が水平射撃を加え、一時外国軍が神戸を占拠する事態になります。明治政府初の外交問題でした。明治政府は各国の要求を受け、砲隊の責任者の滝善三郎を切腹させて解決を図りました。

隊列を横切るのは「供割」という非常に無礼な行為で、武士としては当然の行動です。しかし、これが香港や上海のような理不尽な植民地要求に発展する可能性もあり、享年32歳の滝善三郎の命は日本史の流れを変えたとも言えます。
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春浅し
兵庫運河は神戸市兵庫区にある5つの運河(兵庫運河・兵庫運河支線・新川運河・苅藻島運河・新湊川運河)の総称です。風波が高く船舶の航行に難があった和田岬を迂回するためのバイパスとして作られました。

全長6,470m。周辺には大輪田泊や兵庫津などの歴史観光資源が点在しています。兵庫津周辺は、古くは宋との貿易を目的に平清盛が開発し、江戸時代には北前船の寄港地として栄えました。

明治に入って貿易の中心地が兵庫から神戸に移ったのを機に兵庫を再活性化させるために神戸の商人神田兵右衛門が計画し着工しました。難航していた工事に再度着工して最終的に完成させたのは八尾善四郎です。彼の銅像が高松橋西詰に立っています。
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春浅し
各地で史上最高の大雪というニュースが飛び交っています。姫路の昨日の朝はうっすらの雪。その後はからりと晴れました。それでもお昼過ぎに窓の外を見たら激しく雪が舞っていました。ただ、昼間に降る雪が積もることはまずありません。

この雪はすぐにやみました。YouTubeで日本海側の雪の映像、雪下ろし、事故の映像などを見ていると、つくづく姫路はありがたい場所だと思います。普通に暮らしていて、その余分にあの雪下ろし作業が加わるのですから想像を絶する仕事量でしょう。
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春浅し
江戸の昔、境内はそれなりの広さがあり、周りは町家が建ち並んでいるだけだったでしょう。いま周囲は大都会のビル群となり寺社がこうして残っているのが不思議な気がします。

今宮戎のすぐ北側は阪神高速1号環状線が走り、その西にはなんばグランドマスターズタワーが聳えています。それでも片隅に座ってお茶をいただく程度のスペースはあり、持ち寄ったコーヒーとお菓子でお茶の時間にしました。
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春浅し
昨日は午前8時ごろから細かな雨が降り始めました。朝起きたときに暖かいと感じました。曇って放射冷却が起きていないからでした。今朝は寒く感じたので晴れているでしょう。寒いといってもこの辺りは北国と比べれば過ごしやすいです。
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春浅し
増位山では野生動物によく会います。猪、鹿、狐、狸など、中でも最もよく見かけるのが猪です。姿を見せなくても気配で猪がいるとわかることもあります。昨日も頂近くで猪を見ました。彼らの方が敏感なので、先にこちらに気づいて避けてくれます。木々の間を駆け下っていく丸い姿を見ただけでした。ずんぐりしていますが、とても敏捷です。IMG_0999


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