優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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梅林
切り倒された木々の向こうに播磨灘が見えました。この区画のさらに上に姫路藩主・榊原政邦夫妻の墓所があります。政邦が亡くなったのは享保11年(1726)です。

墓所が作られたころ、周囲の木々の背は低く播磨灘を見渡すことができたのではないでしょうか。梅林を再生するためには、さらに南側の斜面の木々を伐採して、再び海が見渡せる梅林にすることが必要ではと思いました。
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梅林
この一画に入ってきたとき、妙に広々としていると感じたのは枯れて切り倒された梅の木が多かっただけではありませんでした。南側に生えていたアベマキ、カゴノキなどが数本切り倒されていたのです。

よくこのアベマキを見上げていただけに、ちょっと寂しくなりました。しかし、梅林を復活させるには必要な処置なのだと思います。周りの木々が高くなり梅林に十分日差しが届かなくなったのも梅の木が枯れた原因でしょう。
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寒中
増位山の自然歩道から梅林へ下りていく途中に、姫路城主・榊原政邦と夫人の墓所があります。榊原家は江戸時代初期と中期の二度、姫路城主になっています。

政邦は1704年(宝永元)に越後の村上城から姫路城に移封されました。1726年(享保11)に52歳で亡くなるまで、民政に心を傾け、善政を続けたといわれています。遺言により増位山に葬られました。

今は前の木々が大きく育っていますが、葬られた当時は墓所から姫路城下と播磨灘が見渡せたでしょう。梅や桜に囲まれた素晴らしいところです。夫人は1729年(享保14)に江戸で亡くなり、遺言によって政邦の隣に葬られています。IMG_0904
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