優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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梅雨
六月も最終週です。梅雨入りが遅かったためまだ初夏の気分が残っていました。しかし、気が付けば周囲の緑はすっかり色濃くなっています。暦が無かった時代は時間に区切りをつけられなかったでしょう。

本来時間は川の流れのようなもので、常に移り変わり留まることを知りません。時間は幻想だ、という人すらいます。人間は暦という目印を発明することで、とりとめのないものに区切りをつけ、時間を把握できるようになりました。

ツバメは「八月だ、そろそろ渡りの準備をしなくては」なんて思わないでしょう。何に促されて渡りをの時季を知るのか、それはまだ謎です。
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梅雨
手元にある歳時記には梅雨時の川を示す季語として「五月川」が載っています。この五月は旧暦の五月を意味しています。今日は旧暦では5月18日です。現在使われているカレンダーの五月は初夏の心地よい時季ですが、旧暦の五月は梅雨です。

旧暦の時代に詠まれた俳諧を鑑賞するにはこの季語は大事です。しかし、自分で使うには違和感があります。どうしても新暦の五月に結びついてしまうからです。そこで、「梅雨の川」としました。
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梅雨
コシアカツバメの巣がかなり完成してきました。その日積み上げた分の泥は湿っているので色が違います。

こうした巣を作ることを誰に教えられなくても知っているというのは考えてみれば凄いことです。人間はこういう本能を持っていません。しかし、だからこそ逆に自由だと言えます。

間もなく梅雨入りです。古い洗濯機を処分しました。家電リサイクルセンターに持ち込む処理料は3,300円。それでも、気になっていた仕事がひとつ片付いてよかったです。
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梅雨
サトイモが育って大きな葉を広げています。「芋の葉」「露」は季語として用いれば秋のものですがこの句では季語として使っておらず、季語は「梅雨」です。

季語の使い方には自分なりのルールを持っています。「季節を表す言葉が、すべての季語とされるものの中で最も強い」ということです。例えば春夏秋冬や梅雨、これらが句の中にあれば他に季語らしき言葉があろうともそれらの季語性を打ち消すということです。

歳時記には驚くような季語が載っています。例えば「髪洗う」は夏の季語です。簡単に髪を洗えなかった時代の名残です。この語から夏を連想する人など現代人にはほぼいないと思います。
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梅雨
田畑が埋め立てられて家が建てられる一方、集落の中には空き家もあります。ぱっと見ただけではわかりませんが、庭がまったく手入れされていないのでそれとわかります。

空き家問題は全国で深刻です。兵庫県でも中国山地の麓である内陸部の集落で、山裾の家々が軒並み空き家になり、庇は落ちガラス戸は破られてボロボロという様子を見たことがあります。集落消滅も近いという感じでした。

姫路市の幹線道路沿いですら屋根瓦が落ちブルーシートで覆われた空き家が放置されています。早めに解体してしまえばいいのですが、それには数百万円の費用がかかり、更地にすると税金があがります。ただ、放置して事故でも起これば、賠償金が発生します。
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梅雨
ピザの後にはカプチーノを頼みました。ダブルウォールグラスで提供され、ミルクフォームの様子を横からも眺めて楽しめます。テーブルは分厚い一枚板でできており、重厚感がありました。古民家を利用されているだけあって家具からも細やかな心配りを感じました。
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梅雨
近畿地方は6月28日に梅雨明けしました。史上最も短いわずか二週間の梅雨だったとか。橿原神宮へ参拝したころは梅雨入り直後で、これから一か月以上梅雨だと思っていました。何が起こるかわからないものです。ほとんど雨らしい雨は降らず、水不足が心配です。
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梅雨
南神門をくぐって外拝殿前の広場に入りました。実に広々としています。このすっきりと何もない広がりが「ありがたさ」を生み出しているように思います。外拝殿の向かって右手に巨大な寅の絵馬が掲げられています。奉納者は近鉄です。
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梅雨
吉野神宮一の鳥居は近鉄の吉野神宮駅近くにあります。その次が表参道入口にある二の鳥居、さらに神社前広場に至る大鳥居となります。参拝を終えて大鳥居に向かうと、これまで梅雨の雲に覆われていた空の一画に青空がのぞき始めていました。
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梅雨
元歴2年(1185)、源義経は壇ノ浦で平氏を破り平家は滅亡します。京へ凱旋した義経でしたが、その直後に兄の源頼朝と対立。頼朝の要請を受けた後白河法皇が義経追討の宣旨を発します。

義経は再起をかけて船団を組み瀬戸内海を九州へ向かったものの、暴風雨にあい難破して主従は散り散りとなります。義経は郎党や愛妾の白拍子・静御前を連れて吉野へ逃れ、ここ吉水院にしばらく潜んでいました。
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