タグ:楠木正成
春闌花嫁を待つ赤絨毯
◆春闌
神戸市兵庫区の福原京ゆかりの地を巡るハイキングに行ってきました。治承4年(1180)、平清盛が主導して平安京からここに京が移されました。清盛は孫の安徳天皇の新王朝のために政治環境を大転換しようとしましたが、わずか半年で幕を下ろし幻の京となりました。
出発はJR神戸駅。遅めの出発だったので、地下でお弁当を購入し、近くで食べることにしました。北にあがってすぐのところに湊川神社があります。延元元年(1336)、湊川の戦で戦死した楠木正成を祀る神社です。
結婚式が行われるようで、拝殿前に赤絨毯が敷かれ紋付羽織袴の新郎が角隠しをつけ白無垢の衣装を着た花嫁の手をひくという、今となっては懐かしさを覚えるような結婚式が執り行われようとしていました。

神戸市兵庫区の福原京ゆかりの地を巡るハイキングに行ってきました。治承4年(1180)、平清盛が主導して平安京からここに京が移されました。清盛は孫の安徳天皇の新王朝のために政治環境を大転換しようとしましたが、わずか半年で幕を下ろし幻の京となりました。
出発はJR神戸駅。遅めの出発だったので、地下でお弁当を購入し、近くで食べることにしました。北にあがってすぐのところに湊川神社があります。延元元年(1336)、湊川の戦で戦死した楠木正成を祀る神社です。
結婚式が行われるようで、拝殿前に赤絨毯が敷かれ紋付羽織袴の新郎が角隠しをつけ白無垢の衣装を着た花嫁の手をひくという、今となっては懐かしさを覚えるような結婚式が執り行われようとしていました。

楠巨木冬青空へ凛と立つ
桜井の別れの像に散紅葉
◆散紅葉
四条畷神社には桜井の別れの像があります。桜井の別れは、西国街道の桜井駅(現在の大阪府三島郡島本町桜井1丁目)で、楠木正成・正行父子が訣別する逸話です。桜井駅で別れた後、正成は湊川の戦いに赴いて戦死し、父子の今生の別れとなりました。この像の反対側には正行と母らしい像もあり、母も祭神のひとりです。
関空が冠水した今年の台風21号では、このあたりも大きな被害がでました。四条畷神社でも大木が倒れて手水舎を直撃して破損する被害がありました。現在屋根のみ残されて修復を待っている状態です。

四条畷神社には桜井の別れの像があります。桜井の別れは、西国街道の桜井駅(現在の大阪府三島郡島本町桜井1丁目)で、楠木正成・正行父子が訣別する逸話です。桜井駅で別れた後、正成は湊川の戦いに赴いて戦死し、父子の今生の別れとなりました。この像の反対側には正行と母らしい像もあり、母も祭神のひとりです。
関空が冠水した今年の台風21号では、このあたりも大きな被害がでました。四条畷神社でも大木が倒れて手水舎を直撃して破損する被害がありました。現在屋根のみ残されて修復を待っている状態です。

