優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:榊原政邦

冬の紅葉
増位山随願寺の榊原政邦夫妻の墓所の前にあるイロハモミジが鮮やかに色づいてきました。イロハモミジは自生しているものであれば、15mを超える高さにまで生長します。この木もはるかに高いところで葉を繁らせており、紅葉はそこだけ日差しを浴びて輝いています。DSCN0476



冬があと数日というところにきて、ようやく寒らしい気温になっています。榊原政邦は越後から播磨にやってきました。1726年に52歳だったということは、1674年生まれ、姫路城主になったのは、30歳のときです。

政邦自身は榊原本家の出身ではなく、分家の旗本榊原家の勝直の長男として生まれています。本家の政倫が若くして没したため、養嗣子として1683年に越後村上藩を相続しました。このとき9歳です。

9歳から30歳まで雪国の冬を経験し(参勤交代で江戸にいた時期もあったでしょうが)、その後30歳からは雪の無い冬を過ごすことになった政邦。村上は新潟ではそれほど雪の多いところではないそうですが、それでも随分違う冬だと感じられたことでしょう。IMG_0906
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寒中
増位山の自然歩道から梅林へ下りていく途中に、姫路城主・榊原政邦と夫人の墓所があります。榊原家は江戸時代初期と中期の二度、姫路城主になっています。

政邦は1704年(宝永元)に越後の村上城から姫路城に移封されました。1726年(享保11)に52歳で亡くなるまで、民政に心を傾け、善政を続けたといわれています。遺言により増位山に葬られました。

今は前の木々が大きく育っていますが、葬られた当時は墓所から姫路城下と播磨灘が見渡せたでしょう。梅や桜に囲まれた素晴らしいところです。夫人は1729年(享保14)に江戸で亡くなり、遺言によって政邦の隣に葬られています。IMG_0904
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