優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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日傘
深田池の面積は49,500屐日本書紀に記されている推古天皇が作った畝傍池ではないかという説があります。対岸まで遊歩道が整備され池の周囲の一部を歩けるようになっています。冬にはマガモが数多く飛来するそうです。
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花菖蒲
参拝を終え南神門を出て深田池のほとりに向かいました。万葉時代からすでにあった池と考えられており、畝傍山の南斜面を流れ下る雨水を水源としています。灌漑池、洪水調整池として重要な役割を担っています。水辺でハナショウブが咲いていました。
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梅雨
近畿地方は6月28日に梅雨明けしました。史上最も短いわずか二週間の梅雨だったとか。橿原神宮へ参拝したころは梅雨入り直後で、これから一か月以上梅雨だと思っていました。何が起こるかわからないものです。ほとんど雨らしい雨は降らず、水不足が心配です。
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青葉風
外拝殿の石段を上るとその奥に周囲を回廊に囲まれた外院斎庭があります。さらにその先に内拝殿があり、その屋根の背後には幣殿の千木が見えます。本殿はその奥です。余計な飾りを避けた簡素さと清潔感、そこから生み出される豊かな空間、そういうものに日本人は神を感じるのだと思います。
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梅雨
南神門をくぐって外拝殿前の広場に入りました。実に広々としています。このすっきりと何もない広がりが「ありがたさ」を生み出しているように思います。外拝殿の向かって右手に巨大な寅の絵馬が掲げられています。奉納者は近鉄です。
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六月
橿原神宮は神武天皇を祀っています。四年前の一月に一度参拝したことがあります。今回は夏の参拝です。第一鳥居の前に立つと第二鳥居までまっすぐ見渡せます。玉砂利が敷かれた広い参道の両側には四角形の石燈籠が並んでいます。
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柏葉紫陽花
来るときは「青の交響曲」で吉野までまっすぐでしたが、帰りは橿原神宮へ参拝することにし、橿原神宮前駅で途中下車しました。昼食をとろうとカシワバアジサイが咲く通りを歩いていくと「橿原オークホテル」がありました。「橿」は樫の木のことです。
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寒中
畝傍山からの下山道は上りとは異なり、岩がごつごつした険しい道でした。下りて行った先は若桜友苑です。ここには、第十三期海軍甲種飛行予科練習生、空母瑞鶴、駆逐艦若月、初月、秋月、第六〇一航空隊の慰霊碑があります。

下りてすぐのところに「絆の錨」というモニュメントがありました。私たちのすぐ前を歩かれていた男性が、「その向こうに瑞鶴之碑がありますよ」と教えてくださいました。お父さんが海軍でこの船に乗っておられたこともあるとか。

航空母艦瑞鶴は1941年の真珠湾攻撃から作戦に参加し、数々の戦果を挙げたものの、1944年10月25日のレイテ沖海戦のエンガノ岬海戦で米軍艦載機の攻撃を受け沈没しました。真珠湾攻撃に参加した空母六隻のうち、最後まで残ったのが瑞鶴でした。IMG_0767
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初ハイク
橿原神宮から畝傍山の山頂までは照葉樹林の中のなだらかな道を行きます。しぐれていましたが、ここを歩いているとほとんど雨がかからないくらいでした。山頂からは西側に金剛山、葛城山が見えます。

畝傍山は199mあり、大和三山のうちでは最高峰です。天香久山は152m、耳成山は139mで、山というより丘に近い感じです。畝傍山の山頂には畝火山口神社社殿跡との石碑があり、照葉樹が植えられています。畝傍山は瀬戸内海火山帯に属する死火山で、二次的な浸食を受けて現在のような形になりました。

麓には初代天皇といわれる神武天皇が宮を開いたとされており、万葉集にもそれを思わせる歌が残っています。橿原神宮はその伝説に基づいて造られたのでしょう。IMG_0765 (1)
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底冷
大和三山を歩いた日は朝から曇って時雨がちのお天気でした。橿原神宮の拝殿横には巨大な猪の絵馬が飾られ、新春らしさがありました。三が日は大勢の参拝客でにぎわったのでしょう。

北神門を抜けて少し行くと、畝傍山登山口の標識がありました。頂上まではなだらかな道です。散歩、ハイキング、トレイルランニングなど、いろいろな人に出会いました。IMG_0760
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