本堂の左手には多宝塔があります。慶長6年(1601)に池田輝政によって再建されたと伝えられています。さらに宝永7年(1710)には土岐頼殷がこれを修理したと露盤銘に記されています。全体には和様・唐様を混ぜた江戸中期ごろの手法が見て取れるようです。

慶長6年といえば、関ヶ原の戦いの翌年であり、池田輝政は同年から姫路城の大改修にも着手しています。
IMG_6320