優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:浜の散歩道

待春
内部は古い酒蔵を転用した店舗で、正面に販売所があり、右手は酒蔵の広々とした空間を活かしたイベントスペースです。大きな酒樽の蓋をテーブルにし、二十人ほどが飲食できるようになっています。

銘柄の来楽は論語の一節「朋あり遠方より来る、又楽しからずや」から採られています。魚料理との相性が抜群で、海辺の酒蔵らしいです。2021年酒造年度(2021年7月〜2022年6月)の「全国新酒品評会で」大吟醸35来楽は金賞を受賞しています。

甘酒や酒粕も販売されています。来楽は海外へも輸出されているそうです。お酒に弱いのでほとんど飲みませんが、ほんの一口試飲させていただきました。すっきりとした飲み口の美味しいお酒でした。
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寒中
瀬戸川の手前で海岸線から離れ茨木酒造へ向かいました。嘉永元年(1848)創業、明石市内に残る6軒の酒蔵のひとつです。播磨平野は山田錦に代表される酒米の好適地であり、明石は水と季節風の条件に恵まれ最盛期には70軒の酒蔵がありました。

茨木酒造は年間製造量200石と非常に小規模な酒蔵ながら常設店舗があります。軒下に杉玉が下がり、銘柄の来楽(らいらく)が染め抜かれた紺の暖簾をくぐって店舗に入りました。
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春を待つ
魚住住吉神社は5世紀後半の創建とされ、楼門(1648)、能舞台(1627)といった江戸時代初期の文化財が残されています。海路を守る神らしく鳥居は海に向かって開かれており、海を中心に据えた神社であることがわかります。
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水仙
昼食の後、浜の散歩道を西北に向かって歩いて行きました。このあたりは兵庫県の瀬戸内海沿岸部がゆるやかに淡路島に向けてせり出している部分です。海上に目を移せば、西南西50kmほどの地点に瀬戸内最高峰・星が城山(817m)を持つ小豆島が見えます。

魚住漁港まで来るとすぐそばに魚住住吉神社があります。それなりに大きな神社らしく駐車場に整理員の姿がありました。海からの参道脇に水仙が咲いていました。
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牡蠣
昼食は「ながさわ明石江井島酒館」で摂りました。日曜の昼で混んでいましたが、10分ほどの待ち時間で席に着くことができました。牡蠣フライ定食をいただきました。相生産の大粒の牡蠣が四個、熱々ジューシーで美味しかったです。
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昭和6年(1931)、直良信夫が西八木海岸の更新世の地層から明石原人の右腰骨化石を発見しました。現物は東京大空襲で焼失してしまい、石膏模型が後に再発見されたものの、現在に至るまでどの進化段階の骨なのか結論は出ていません。

直良が明石原人の化石を発見したのは4月18日、晩春の明石の海辺は散歩するのにもってこいだったと思われます。
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春近し
浜の散歩道まで戻ると神社前の広場を利用してウインドサーフィンを組み立てている人がいました。波が穏やかで風もいいのでしょう。ウインドサーフィンやシーカヤックなど海辺のレジャーにも優しいのが瀬戸内海だろうと思います。
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日向ぼこ
住吉神社のすぐ下の波辺には小さな漁船が引き上げられていました。日差しの中でまどろんでいるようです。雪国、北国の海の景色は冬の厳しさを象徴しています。しかし、瀬戸内海沿岸部に暮らす私にとって馴染みがある冬の海は、こういう優しい景色です。
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海辺には鴨類が多数集まっていました。ヒドリガモのようです。淡水ガモですが、海に出ることも多く大群で見られることの多いカモです。ピューイ、ピューイと鳴きかわしているのが聞こえます。日差しを浴びて海面がきらきらと光り、のんびりした雰囲気でした。
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春の隣
浜の散歩道に合流してすぐ右手に住吉神社があり、鳥居まで緩やかな坂と階段で登って行けます。辿り着いて振り返ると鳥居のむこうに淡路島の西海岸が見えました。このあたりには住吉神社が多く、海沿いにもいくつかあります。

住吉大神は海の神であり、航海や漁業関係者の信仰を集めてきました。遣唐使が派遣されるときも必ず祈願したといいます。四方を海で囲まれた日本にとって、産業と交通を支える神であり続けています。
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