優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:満願寺

新緑
満願寺の境内には国の重要文化財である正応6年(1293)造立の九重石塔があります。他にも室町時代の造立である美女丸、幸寿丸にちなむ三廟や源氏一族の供養塔が多く並び、いずれも川西市指定史跡です。

満願寺は奈良時代の開山とされ、源氏一族の祈願寺の歴史がありますが、古い建物が残っていないのは戦国の兵乱で焼けてしまったからなのでしょう。長い歴史を経て現代まで伝わっている建造物は、奇跡的な幸運に恵まれて残っているのだと実感します。
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若楓
イロハモミジの若葉の間に点々と赤いものが見えます。翼果と呼ばれる種子です。親の木から少しでも遠くへ飛ぶように進化の過程でこうした形ができあがりました。イロハモミジは高木になりますから、落下高度も高く風の影響を期待できます。

カエデ類の花は小さく目立ちません。むしろこの翼果の方が大きく、花のように見えます。日本のカエデ類は紅葉の美しさが人に愛され、今では人の手で増える方が多く、さまざまな品種が生まれています。
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緑さす
円覚院本坊にかかっている幕には笹竜胆と左三つ巴が描かれていました。笹竜胆はここを祈願所とした清和源氏の紋所に由来するものでしょう。三つ巴の由来はわかりませんが、最も古くからある紋のひとつとしてよく知られています。
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若楓
山門を入ると両側にイロハモミジの若葉が展開していました。楓若葉の瑞々しい美しさ、それを堪能しつつ奥へと歩いていきました。

満願寺は鎌倉時代の正中2年(1325)に後醍醐天皇の勅願寺となり、室町時代に入ってからは、源氏一門である足利将軍家の祈願所となり最盛期には四十九の子院がありました。しかし、戦国の兵火を受けて衰微しました。

江戸時代に入って再び二十以上の子院を有する隆盛を取り戻したものの、次第に衰えて明治維新を迎えるころには現在本坊となる円覚院のみが残りました。
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新緑
駅前のバス乗り場で満願寺行きのバスを探したところ、次のバスまで50分ほどあり、タクシーを使っても1200円ほどなので、タクシーにしました。タクシーは住宅街の細い急傾斜の坂道をどんどん登っていきました。

満願寺は奈良時代に開かれた真言宗のお寺です。平安時代に源満仲が帰依して以来、源氏一門の祈願所となりました。山門は明治14年(1881)に再建され、仁王像は神仏分離により多田神社となった多田院から移されたものです。

山門は中央がアーチ状になった珍しい洋風の造りで、明治初期ならではの建築です。アーチの上に神秀山の額があり、その向こうに今は新緑が広がっています。
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