優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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春動く
加藤清正は熊本では「せいしょこうさん」と呼ばれ、信仰の対象です。行幸橋南詰の広場に加藤清正像があります。190cmの長身であったといわれ、長烏帽子形兜という変わり兜をかぶっていたため、さらに背が高く見えました。この像は長烏帽子形兜をかぶり、戦場で今まさに采配を振ろうとする清正を表現しています。
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行幸橋を渡ると城彩苑わくわく座です。ここには屋台形式の飲食店が軒を連ねています。大勢の韓国や中国の団体客でにぎわっていました。この前から場内の無料シャトルバスとしろめぐりんが発着します。IMG_1255


春の水
長塀は坪井川に沿って建てられた全長242mの長い塀です。現存する日本の城郭の中では最も長い塀です。IMG_1250
加藤家が城主の時代には、花畑屋敷と熊本城の往来のための橋と入口が長塀の中央にありました。細川家の時代になって、ここが塞がれ、現在のような一直線の長い塀になりました。今回の地震で東側の80mが倒壊し、背後の石製控柱も多数破損しました。IMG_1251
厩橋から行幸橋までが坪井川沿いの遊歩道「長塀通り」になっており、ここから長塀と馬具櫓を見ました。馬具櫓の石垣も大きく破損して崩れています。IMG_1253


うららか
厩橋を渡ると正面に熊本市役所があります。ここの14階からは熊本城全体が見渡せたそうですが、気づきませんでした。ただ、知っていたとしても、立ち寄るには時間的に厳しかったかもしれません。

正面の熊本信用金庫のビルに大きなくまモンが描かれているのが見えました。自治体のキャラクターではダントツのスターで、どこでもおなじみながら、あらためて熊本に来ているのだと思いました。IMG_1248
熊本城の内堀の一部を形成する坪井川に沿って西へ歩いて行きました。暖かく川の中ほどで数羽のカラスが盛んに水浴びをしていました。「カラスの行水」と言いますが、実際にカラスが水浴びをしているのを見るのは初めてでした。IMG_1249

春の空
平櫓の東脇を通る坂道は不開門に通じています。不開門は熊本城に唯一現存する櫓門で平時は開けなかったと伝えられています。地震によって不開門は櫓部分が倒壊し、周囲の石垣も崩落しました。IMG_1246
さらにその先には北十八間櫓がありました。高さ20mの石垣の上に建つ全長40mの一階建ての櫓です。鍵状に折れた形で南側は東十八間櫓と接続し、江戸時代から残る重要文化財です。地震によって櫓と土台の石垣が崩落しました。IMG_1245
倒壊した櫓や崩落した石材は回収され、修復に備えて整理保管されています。これらがすべて完全に元の姿に戻るには莫大な経費と長い年月がかかるでしょう。

春淡し
熊本城の現在の見学コースは、城の西側にある二の丸駐車場から北に向かって出発し、二の丸広場前を通って戌亥櫓で東へ曲がり、加藤神社に詣でた後、県道303号に出て道なりに南へ進みます。その後、坪井川を渡って川沿いの道を馬具櫓前まで歩く形になっています。

平櫓は天守の北東を守る一階建ての櫓で、高さ18mの石垣の上に建っています。地震により石垣の土台が大きく膨らみ建物も損壊しました。今は崩落を防ぐために巨大な鉄骨が石垣を支えています。IMG_1243

春昼
熊本城を築いた加藤清正は築城の名手として知られています。熊本城の石垣は独特の形で積み上げられています。下はゆるやかで容易に登れそうに見えるのですが、上に向かうほど反り返しがきつくなり、登れなくなります。身軽な忍者でさえ引き返さざるをえないことから「武者返し」と呼ばれています。
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この石垣は加藤清正が近江国から連れて来た石工集団がつくったと言われています。熊本地震で多くの石垣が崩壊しましたが、今もこの反りの様子はいろいろなところで見られます。忍びを防ぐ目的で作られた反りが、今では城に独特の美しさを与えています。IMG_1242




春空
熊本城の現在の見学コースでは、二の丸広場から大小天守閣、宇土櫓、戌亥櫓を見つつ加藤神社に参拝します。加藤神社は加藤清正を祀っており、境内には清正手植えと伝わる銀杏があります。加藤神社からは再建中の大天守を最も間近で見ることができます。IMG_1237
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九州に向かう新幹線がJR西日本管内からJR九州管内に入ったとたん、車内案内の言葉が変わったのに気づきました。JR西日本の間は日本語と英語でしたが、JR九州では日本語に続いて流れてきたのが韓国語、さらに中国語でした。IMG_1234
地図を広げると、釜山は対馬をはさんで福岡とは目と鼻の先。熊本から釜山までは直線距離で広島とほぼ同じです。P_20190223_100321_HDR
しろめぐりんを降りるとき、運転手さんが「今日はツアー客船が着いているので特に外国のお客様が多いです」と言われていました。城内に入ることはできないため周遊コースを巡りますが、その間も聞こえてきたのは韓国語と中国語がほとんどで、日本語はまばらでした。九州の観光産業に占める韓国や中国の役割は想像以上に大きいのだろうと思いました。IMG_1236



早春
熊本城の二の丸広場には巨樹が並んでいます。樹木はみな生き生きしていました。暖かく厚いコートは不要です。歩いていると汗ばんでくるほどでした。IMG_1228
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城の敷地の一画に崩れた石垣の石が並べてありました。どの石がどの位置にあったものかわかるように番号が記され、整然と置かれています。まだ崩れたままになっているところもあります。IMG_1231
石垣の修復のためには、それ以前の状態を確実に把握しておかなければならず、一般の建物のようにとりあえず瓦礫を撤去してしまうというわけにはいきません。専門的な技術者が必要な作業です。IMG_1233

春陽
熊本城の中には入れないため、二の丸広場でしろめぐりんを降りた後、周遊ルートを歩きました。左手に巨木が点在する二の丸広場、右手に大天守、小天守、宇土櫓が見えます。IMG_1225
大天守は慶長5年(1600)頃に加藤清正によって築かれました。向かって右側に大天守、中央に小天守、左側に宇土櫓が並んでいます。小天守は大天守築造後に別棟として建てられ、通路でつながっています。IMG_1227
大小天守は明治10年(1877)の西南戦争直前に焼失し、昭和35年(1960)に鉄筋コンクリート造で再建されました。宇土櫓は江戸時代から残る重要文化財です。歩いて行くと、崩れたままの石垣が見えてきました。IMG_1229


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