優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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ランチの後、隣にある工楽松右衛門旧宅へ向かいました。工楽松右衛門(1743-1812)は漁師の息子として高砂市東宮町に生まれました。少年時代に兵庫津(神戸市兵庫区)に出て船乗りになり、御影屋を名乗って海運業をおこないます。

脆弱で長持ちしなかった北前船の帆を改良し、二倍以上の耐久性を持つ帆を考案。松右衛門はこの製造法を秘密とせず多くの職人に伝えたため「松右衛門帆」と呼ばれ、全国に普及しました。今で言えばハイテク技術を無償公開したようなものでしょう。

さらに幕府や藩の依頼を受け函館、択捉島、鞆の津など全国の港を改築します。これにより、幕府から「工事を楽しむ」「工夫を楽しむ」という意味の「工楽」という姓を与えられます。「人として天下のために役立つことを考える」というのが彼の信条でした。
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十輪寺のすぐ隣には申義堂があります。江戸時代の文化年間(1804-1819)姫路藩家老河合寸翁の命により、当時高砂の大年寄であった岸本吉兵衛が土地・建物を提供し、高砂町北本町に創立された町民による町民のための学問所です。

元旦と五節句、毎日5がつく日以外は毎日授業が行われていました。明治時代になって廃校となり、建物は加古川市に移されました。平成11年(1999)カネカから寄付金を受け復元計画に着手。平成24年(2012)現在地に当初の姿で復元されました。

加古川市から移築した部材をできる限り活用し、構造は木造平屋建て、3間×3.5間、寄棟屋根、本瓦葺です。20畳の座敷1室、奥の間3間、正面縁側の簡素な構成で、正面玄関屋根に飾瓦露盤が葺かれています。ボランティアの方から説明を受けることができました。
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今日は主治医チームのうちのふたりがベッドサイドに来られました。神経生検の傷に貼っていたテープをはがし、傷がくっついていることを確認して、歩行許可が下りました。これでひとりで歩いて行動できますし、入浴もできます。

診断について「MSですか?」とたずねたところ、「CIDPとMSが合併している可能性があります」とのお返事。検査結果はまだ全部出ているわけではなく、神経生検の結果などは数か月かかるものもあるそうです。

ステロイド点滴はいずれにも効果があるため、まずそこから始めることになりそうです。その前にもうひとつ検査が必要とのことでした。結構珍しい症例のようで、いろいろ調べる必要があるとのことです。
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9月14日の神経生検以来入浴できないため、毎日看護師が熱い清拭タオルを持ってきてくださいます。それで身体を拭くとさっぱりします。それから新しい病衣に着替えます。病衣は入院時にレンタルを申し込んでいるので、着替えフリーです。

この病衣は小山株式会社から提供されており、製造はナガイレーベンです。ポリエステル30%、綿70%で吸水加工され、肌触りがよくさらっとしています。
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展望台から東を見ると、すぐ下に須磨海水浴場が見えます。その先には神戸空港とそれをつなぐ連絡橋があり、さらに大阪湾をへだてて、梅田の高層ビル群、あべのハルカスの姿も確認できました。その背後は大阪府と奈良県の境である生駒山です。
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『サンクスツアー』が可能になったのは、浅田真央が現役時代に毎年異なる種類のプログラムを滑ってきたことがあるなあと感じたものでした。『BEYOND』では『サンクスツアー』で取り上げていなかった曲を滑っています。

ソロで滑るだけでなく、元のプログラムをアレンジして群舞にしたり、ペアで滑ったり様々な工夫をこらしています。100分間ですが、他のアイスショーのような演者の挨拶や出入りの間がなく、全編流れるように展開していくので中身が濃いです。

このスピード感と計算されつくした動き。さらに、今回の公演では11人のメンバーのひとりが怪我で欠場して10人でしたが、それを感じさせない圧巻のパフォーマンス。チームとして仕上がっていなければとてもこうはできないだろうと思いました。
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奥比叡ドライブウェイを走るバスからは東側に広がる琵琶湖が見えます。途中、親鸞、法然らの修行の場と書かれた立札がありました。鎌倉新仏教の開祖たちはすべて一度は比叡山で修行をしています。

比叡山は大きく東塔、西塔、横川の三つの地域に分かれています。横川は最も北に位置する場所で、横川中堂を中心に恵心堂、四季講堂などがあります。
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叡山ケーブルは大正14年(1925)に開業し、間もなく100周年を迎えます。標高差561m、約1.3kmを6分で結んでいます。登るにしたがい眼下に洛北の町並みが見えてきます。ケーブルカーは山上と麓で同時に発車し、途中のポイントですれ違います。
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そもそも白米やパンを「主食」と思い込んでいる考えを変える必要があります。それらを食べるのは、人類にとってむしろ不自然です。稲や麦といった穀物栽培が始まったのは1万年ほど前、日本にも稲作が伝来しました。

人類の誕生は約500万年前のアフリカです。穀物栽培以前は狩猟採集の時代が長く、人類進化の過程の99%以上は栽培穀物を食べていません。つまり、私たちの身体の仕組みは狩猟採集時代の食生活に適するように進化したのです。

米や麦は人間の身体にとって異質な存在です。実際、人間の身体は高血糖への備えが十分ではありません。血糖値を上げるホルモンは成長ホルモン、グルカゴンなど多数ありますが、血糖値を下げるホルモンはインスリンだけです。急激な血糖値の上昇などという事態が想定されていないのです。
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