◆爽やか
十輪寺のすぐ隣には申義堂があります。江戸時代の文化年間(1804-1819)姫路藩家老河合寸翁の命により、当時高砂の大年寄であった岸本吉兵衛が土地・建物を提供し、高砂町北本町に創立された町民による町民のための学問所です。
元旦と五節句、毎日5がつく日以外は毎日授業が行われていました。明治時代になって廃校となり、建物は加古川市に移されました。平成11年(1999)カネカから寄付金を受け復元計画に着手。平成24年(2012)現在地に当初の姿で復元されました。
加古川市から移築した部材をできる限り活用し、構造は木造平屋建て、3間×3.5間、寄棟屋根、本瓦葺です。20畳の座敷1室、奥の間3間、正面縁側の簡素な構成で、正面玄関屋根に飾瓦露盤が葺かれています。ボランティアの方から説明を受けることができました。

十輪寺のすぐ隣には申義堂があります。江戸時代の文化年間(1804-1819)姫路藩家老河合寸翁の命により、当時高砂の大年寄であった岸本吉兵衛が土地・建物を提供し、高砂町北本町に創立された町民による町民のための学問所です。
元旦と五節句、毎日5がつく日以外は毎日授業が行われていました。明治時代になって廃校となり、建物は加古川市に移されました。平成11年(1999)カネカから寄付金を受け復元計画に着手。平成24年(2012)現在地に当初の姿で復元されました。
加古川市から移築した部材をできる限り活用し、構造は木造平屋建て、3間×3.5間、寄棟屋根、本瓦葺です。20畳の座敷1室、奥の間3間、正面縁側の簡素な構成で、正面玄関屋根に飾瓦露盤が葺かれています。ボランティアの方から説明を受けることができました。
