優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:畝傍山

しぐれ
本薬師寺跡からさらに東へ飛鳥川を目指して歩きました。傘をさすほどではないものの細かな雨がときおり降ってきます。藤原京の中心部に近いあたりです。

振り向くと、先ほど登ってきた畝傍山が住宅地の向こうに見えました。死火山というだけあって、低いながらも美しい姿の山です。IMG_0775

寒中
畝傍山からの下山道は上りとは異なり、岩がごつごつした険しい道でした。下りて行った先は若桜友苑です。ここには、第十三期海軍甲種飛行予科練習生、空母瑞鶴、駆逐艦若月、初月、秋月、第六〇一航空隊の慰霊碑があります。

下りてすぐのところに「絆の錨」というモニュメントがありました。私たちのすぐ前を歩かれていた男性が、「その向こうに瑞鶴之碑がありますよ」と教えてくださいました。お父さんが海軍でこの船に乗っておられたこともあるとか。

航空母艦瑞鶴は1941年の真珠湾攻撃から作戦に参加し、数々の戦果を挙げたものの、1944年10月25日のレイテ沖海戦のエンガノ岬海戦で米軍艦載機の攻撃を受け沈没しました。真珠湾攻撃に参加した空母六隻のうち、最後まで残ったのが瑞鶴でした。IMG_0767
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初ハイク
橿原神宮から畝傍山の山頂までは照葉樹林の中のなだらかな道を行きます。しぐれていましたが、ここを歩いているとほとんど雨がかからないくらいでした。山頂からは西側に金剛山、葛城山が見えます。

畝傍山は199mあり、大和三山のうちでは最高峰です。天香久山は152m、耳成山は139mで、山というより丘に近い感じです。畝傍山の山頂には畝火山口神社社殿跡との石碑があり、照葉樹が植えられています。畝傍山は瀬戸内海火山帯に属する死火山で、二次的な浸食を受けて現在のような形になりました。

麓には初代天皇といわれる神武天皇が宮を開いたとされており、万葉集にもそれを思わせる歌が残っています。橿原神宮はその伝説に基づいて造られたのでしょう。IMG_0765 (1)
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底冷
大和三山を歩いた日は朝から曇って時雨がちのお天気でした。橿原神宮の拝殿横には巨大な猪の絵馬が飾られ、新春らしさがありました。三が日は大勢の参拝客でにぎわったのでしょう。

北神門を抜けて少し行くと、畝傍山登山口の標識がありました。頂上まではなだらかな道です。散歩、ハイキング、トレイルランニングなど、いろいろな人に出会いました。IMG_0760
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