優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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秋晴
行きは播磨灘の快晴のなか爽快な船の旅でしたが、帰りは雨が船窓を叩く状態になりました。39℃の発熱の女の子は横たわって辛そうでした。ただ、子どもは一気に悪くなるものの、回復するのもまた一気です。

初日の夜に咳が止まらなくなった男の子は本土に戻って治療を受け、翌日の昼には自然学校へ帰ってきました。「高齢者なら考えられないね」と別の救護スタッフと話しました。

体調の悪い子は姫路港まで保護者が迎えに来られ、他の子はバスでそれぞれの家の近くまで送ります。保護者代表が各場所で数人ずつ待っていてくださいました。それにしても、小学校の先生は、やりがいはあるとは思いますが大変な仕事です。
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秋晴
正午過ぎから屋台が集落を廻り始めたようで、遠くから太鼓の音が響いてきます。このあたりでは体育の日の前の週末に秋祭りをするところが多いです。

秋祭りに関して、年末年始以上に特別な期間としている地域では、週末など関係なくそれぞれの神社の決められた日に祭りをおこないます。10月は播州各地で祭り太鼓が響き渡るシーズンです。
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秋晴
昨日は抜けるような青空が広がる晴天でした。母が亡くなりいろいろな書類上の手続きが必要なため、戸籍謄本をもらいに地元の役場へ行ってきました。ドライブには「銀の馬車道」を通って行きました。

銀の馬車道は正式名称を生野鉱山寮馬車道といい、明治9年(1876)生野鉱山と飾磨港(姫路港)を結ぶために明治政府がつけた49kmの日本最初の高速産業道路です。生野鉱山で産出された銀の精錬に必要な石炭や物資、そこで働く人々の日用品を運びました。

明治28年(1895)に播但鉄道(現在のJR播但線)が開業したことによりその役割を終え、馬車道跡は国道や県道に姿を変えました。21世紀に入ってから、歴史として「銀の馬車道」を掘り起こそうというプロジェクトが始まり、日本遺産にも指定されています。
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秋晴
右足首の神経生検の傷跡はすっかり癒えました。検査もほぼすべて終了し、退院の話が出てきています。今回受けた検査の結果がすべてはっきりするまでにはまだ時間がかかりますが、ひとまず退院し検査結果を待ちながら治療方針を決めていくことになります。
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秋晴
病棟は6時になると朝の活動が始まります。夜勤の看護師たちが患者に必要な処置を行い、7時ごろに朝食が運ばれてきます。お天気がよく、金剛山が見渡せる新館の窓まで歩いて行きました。秋も半ばを迎え、快晴の山の景色は気持ちを爽やかにしてくれます。

髄液検査、神経伝導速度検査が終わりました。私の疾病の状態がCIDPとして変わっているのは、筋力低下がほとんどなく痛みが強いことです。木曜日には神経生検をおこないます。それでさらに診断の精度があがると説明を受けました。

稀な神経疾患(CIDPも十分稀ですが)の可能性もあります。この検査入院の目的は診断名を確定することですから、できることは全部やろうと思っています。
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秋晴
須磨浦公園前駅前交差点に来たとき、三宮・姫路1dayチケットを使えば須磨浦ロープウェイにも無料で乗れることに気が付きました。そこで予定を変更しロープウェイに乗ることにしました。

ロープウェイは1957年9月開業、2021年3月にリニューアルされました。白いゴンドラのうみひこ、赤いゴンドラのやまひこのふたつのゴンドラが、鉢伏山上駅までの高低差180.5mを3分で繋いでいます。
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