優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:篠ノ丸城址

山茶花
篠ノ丸城址はちょっとした広場になっています。さらに少し登ると東屋があり、そこから南側に山崎町の中心部を見下ろすことができます。東屋のそばにピンクの山茶花が咲いていました。この山は宍粟50名山になっており、頂上は篠ノ丸(512m)と呼ばれています。
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冬紅葉
喫茶コーナーのあった広場からさらにゆるやかな斜面を登っていくと篠ノ丸城址に着きます。『赤松家播備作城記』によれば、南北朝期に赤松貞則の長男顕則が初めてここに城を築きました。

その後、赤松一族の西播磨守護代宇野氏は山崎町中心部に居館を置き、背後の山上に篠ノ丸城を築きました。天正8年(1580)の羽柴秀吉の播磨攻めの際に長水城とともに落城しました。黒田家の正史『黒田家譜』に、宇野氏滅亡後に官兵衛が山崎の城に居城したと記されており、これが篠ノ丸城ではないかとする説があります。

確実な史料として官兵衛が宍粟を領有するのは天正12年(1584)7月で、同15年(1587)7月に豊前に移封となるまで宍粟を治めました。平素は多忙な官兵衛に代わり代官が居城していたものと考えられています。
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