優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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紫陽花
裏庭でこじんまりと咲いているアジサイを見つけました。各地の紫陽花園やお寺などの紫陽花の名所であふれるほどたっぷり咲いているのを見るのもいいですが、こういうちょぼっと咲いている姿も違う風情があっていいものです。
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紫陽花
朝に散歩しました。近所では田んぼが住宅地へと変っていっています。先日まで畑だったところにアパートが建ち、そこを抜けていくとその先にまとまった住宅の区画ができあがっていました。ちょっと寂しい気がしますが仕方ありません。

駅の近くの畑は駐車場になりましたし、アパート、住宅がどんどん建っています。田んぼや畑のままにしておくよりも、住宅地として売ってしまえば、後の世話がいりません。アパートは管理会社にまかせてしまえば、定期的な収入につながります。
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紫陽花
子どもの頃、姫路城の周囲は今のように整備が行き届いてはいませんでした。世界遺産に登録されたことが整備を進めるきっかけになったのかもしれない、と思います。法隆寺とともに日本で初めての登録でしたから、「世界遺産?それ何?」という雰囲気でした。

30年前といえば、バブル崩壊と阪神淡路大震災に挟まれた頃です。予算は恐らく厳しかったと思いますが、それでも、お城にふさわしい街並みにしなければ、と整備が進められていったのだと思います。
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青りんご
「りんごの木」の名前どおり、庭にはりんごの木があり、小さなりんごが生っていました。姫路周辺は温暖なので、りんごの木は滅多に見ません。りんごの花は大変美しいそうで、「りんごの花ほころび〜」で始まるロシア民謡『カチューシャ』を思い出します。

日本語でも親しまれていますが、YouTubeではロシア語のものを聴くことができ、やはり原語は素晴らしいと思いました。意味はわからなくてもその国の言葉の響きがその音楽に最もよくあっています。
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紫陽花
「りんごの木」の庭にはアジサイがいくつか植えられていました。都麻乃郷あじさい園でたっぷりとアジサイを見た後でしたが、こちらはこちらでまた新鮮な感覚でした。花というのはいくら見ても飽きないものです。
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紫陽花
あじさい園を出た後、奥にある西林寺本堂へお参りしました。西林寺の山号は栢谷山(かやたにさん)。真言宗で本尊は平安中期に作られた十一面観音菩薩(兵庫県指定文化財)、脇侍は不動明王と毘沙門天です。

江戸時代には1院13坊を持ち寺領25石1斗を所有して、一帯は西林寺村と呼ばれていました。いまでは春は桜、夏は紫陽花、秋は紅葉を楽しめる寺になっています。境内には県の天然記念物である樹齢200年以上の唐子つばきがあります。
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紫陽花
朝はけっこう降っていた雨が「Shima365」に入るころには小降りになり、「都麻乃郷あじさい園」に入るときは完全にあがっていました。雨上がりのしっとりとした空気の中、アジサイを楽しむことができました。
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紫陽花
日本の人口は江戸時代後期から明治維新(1868)まで3,200万人程度でした。その後急激に増え、終戦時(1945)7,200万人、さらに増え続けて2005年に12,777万人のピークを迎えました。150年で人口が4倍に増加しており、これがむしろ異常だったのです。

人口はすでに減少し始めていて、厚労省の中位推計によれば2050年には9,515万人になり、若年人口は900万人、生産年齢人口は3,500万人減る一方で、高齢者人口は1,200万人増え、高齢化率39.1%と予測されています。

2050年には第二次ベビーブーム世代(1971〜74)が後期高齢者となっており、2070年前後にかけて亡くなっていく頃です。その後世代人口の極端な山はありませんから、高齢化のピークはこのあたりで終わると予想できます。
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紫陽花
入ってくるときは正門から潮見台を通って大噴水へと歩きました。帰りは新池から花しょうぶ園の脇を抜けてあじさいの道経由で出ました。花しょうぶはほぼ終わっており、アジサイが見ごろでした。バラ以外にも一年を通して多くの花が咲きます。
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紫陽花
風鈴の下には紫陽花の鉢が置かれていました。吉野神宮は建武中興十五社のひとつです。建武中興は後醍醐天皇が武家から政権を取り戻そうとした動きであり、明治維新でそれを成し遂げた明治天皇にとっては意義深いものでした。十五社はそれぞれ縁の地で護良親王ら皇族、楠木正成ら武将を祀っています。
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