優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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枯れ
人家が途切れると、広々とした藤原宮跡に出ました。藤原宮は藤原京の中心部にあり、現在で言えば皇居と官庁街をあわせた役割を持っていました。

約900m四方で、まわりを大垣と濠で囲み、それぞれ三つずつ門があり、内部には天皇の住む内裏、政治や儀式をおこなう大極殿と朝堂院、役所の建物が建ち並んでいました。

宮を囲む藤原京は碁盤目の区画を持ち、5.3km四方で、皇族、貴族の邸宅、寺院があり、市も設けられていました。耳成山が北に、畝傍山が西に、天香久山が東に位置する景勝の地で、『万葉集』にも数多く詠われています。IMG_0796

しぐれ
飛鳥川は大和川水系の一級河川。奈良盆地南部を流れ、飛鳥地方の寺社や遺跡の間を縫いながら橿原市を貫流して大和川中流部に注ぎます。万葉集に数多く詠われ、藤原京に住んだ人々が親しんだ川です。

本薬師寺跡から東に進んで飛鳥川のほとりに出、川に沿って500mばかり歩いた後、川を渡ってさらに東に歩きました。川に白鷺がいました。白鷺はダイサギ、チュウサギ、コサギの三種類があり、この鳥は、ダイサギかチュウサギと思います。IMG_0777


松の内
奈良では12日はまだ松の内です。橿原神宮前駅にも寺社にも門松がありましたし、家々にも注連飾りが飾られていました。

大和三山がすっぽりとおさまる地域は、持統天皇8年(694)から和銅3年(710)まで、持統、文武、元明天皇の都、藤原京がおかれていました。藤原京は東西南北の道路によって碁盤目に区画した日本最初の中国式都城でした。IMG_0776
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しぐれ
本薬師寺跡からさらに東へ飛鳥川を目指して歩きました。傘をさすほどではないものの細かな雨がときおり降ってきます。藤原京の中心部に近いあたりです。

振り向くと、先ほど登ってきた畝傍山が住宅地の向こうに見えました。死火山というだけあって、低いながらも美しい姿の山です。IMG_0775

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