優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:親鸞

七月
ここ最近「生前整理」「エンディングノート」などの言葉をメディアでよく目にします。総人口の5%を占める団塊の世代(1947-1949)が後期高齢者に入ったことが背景にあるでしょう。

2030年代から2040年代は団塊の世代が亡くなる時期、多死社会になります。ものを持つことが豊かさの象徴だった世代で、捨てられない人が多いからこそ「いかに捨てるか」がメディアに登場するのです。

「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という親鸞の歌があります。日本人のふたりにひとりはがんになります。ある日突然の余命宣告もあり得ますし、心筋梗塞や脳卒中ならもっと突然です。事故であればさらに年齢を問いません。
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しゃが
いろいろな事件や事故のニュースを見ていると人の運命を考えてしまいます。さらに縁ということも。被害者、加害者がいて、そのまわりにさらに縁でつながった人がいて、偶発的、計画的な違いはあれど、そこにある縁が働いたという…。

親鸞は『歎異抄』で「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」と述べています。私たちは、ある条件が整ってしまったなら、何をしでかすかわからない存在だ、と言っているのです。

善良な市民として生きた人が、アクセルとブレーキを踏み間違えて他人の命を奪ってしまう事故も珍しくありません。まさか自分がと思っていても、そこで縁と運命が重なってしまうとそういうことが起きます。
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春の嵐
昨日は雨でした。午前中は風も強く、桜が咲くころによくある荒天です。まだ咲き始めの桜が散ることはありませんが、満開を過ぎると一夜にして散ってしまうことがあります。

「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌があります。親鸞が出家のときに詠んだ歌だそうです。明日があると思うからだらだらと過ごしてしまいます。でもいつかその明日が無い日がやってきます。今を精一杯生きる、わかっていてもなかなかできないのですけれど…。
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