2024年06月17日 睡蓮を見つつ太平記の山へ ◆睡蓮 登山口へ向かう途中に睡蓮の咲く池があり、池の中では錦鯉が泳いでいました。『播磨鑑』によれば、建武3年(1336)建武の乱で楠木正成(南朝)との戦いに破れた足利尊氏(北朝)は九州に逃れます。 これを追う新田義貞(南朝)が播磨に侵攻。対する白旗城の赤松円心に呼応して、赤松則祐は感状山城に立てこもり50日余りに渡って新田義貞軍を足止めします。後にその功績により、足利尊氏より感状が与えられ、これが山の名前になりました。 タグ :#睡蓮#感状山#足利尊氏#新田義貞#赤松円心#赤松則祐#太平記#播磨鑑