優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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銀杏落葉
その一画に鼠小僧次郎吉の墓があります。彼は江戸時代後期(化政期)の盗賊で大名屋敷のみを狙い、人を傷つけることもなかったので、後世に義賊として伝説化しました。10年間に渡って盗みを繰り返し最後は市中引き回しの上獄門となります。

長年捕まらなかった幸運にあやかろうと墓石を削ってお守りにする習慣が生まれました。墓石の前に削り取り用の第二の墓石が立てられ、「こちらのお前立をお削りください」との立札が立っていたのには笑いました。
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銀杏落葉
ハイドンの協奏曲を探索中に、もうひとりのハイドンを知りました。F.J.ハイドン(1732-1809)には5歳年下の弟、ヨハン・ミヒャェル・ハイドン(1737-1806)がいます。YouTubeでは『フルート協奏曲 ニ長調 MH105 』などを聴くことができます。

弟ハイドンは偉大な兄の陰に隠れて19世紀には忘れられた存在でした。日本でもまだほとんど知られていないでしょう。ChatGPTも「知りません」とのことでしたから、アメリカでもそうなのでしょう。

しかし、20世紀に入って再発見と再評価が進み、YouTube上には弟ハイドンの作品を演奏した動画が数多くあります。本国オーストリアやヨーロッパで評価が高まっているのは明らかです。こういう思いがけない出会いがあるからYouTubeはいいです。
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銀杏落葉
天地真理と藤圭子は同い年なんですね。天地真理は51年11月5日、藤圭子は同年7月5日生まれです。藤圭子の声もYouTubeで聴いて、いいなあと思っていました。彼女たちが活躍したころは歌番組の隆盛期で、演歌もJ-POPも全部「流行歌」でした。

藤圭子の方がデビューはやや早い69年、つまり18歳になったばかりで『新宿の女』を歌ったわけです。天地真理のデビューは71年10月の『水色の恋』なので20歳直前です。二人とも歌と容姿があいまって爆発的な人気を獲得しました。

天地真理は元祖アイドルであり、後のJ-POPの源流のひとりになります。藤圭子の娘は宇多田ヒカルです。母娘そろって日本の歌謡史に大きな足跡を残す稀有な存在になりました。
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銀杏落葉
大手前通りには「彫刻のあるまちづくり」として両側歩道に18体の彫刻が設置されています。かつては放置自転車が目立った場所でしたが、姫路城の平成の大修理、その後の駅周辺の整備事業が進んだ結果随分様相が変わっています。

歩道の道幅は広く、クスノキとイチョウの並木が続き、木製ベンチが各所に置かれ、歩くことを楽しむと同時に公園で寛ぐような雰囲気も味わえるようになっています。
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銀杏落葉
JR姫路駅の中央口を北に出れば目の前に姫路城が見えます。駅からまっすぐに城まで伸びている幅の広い道路が大手前通りです。昭和20年(1945)6月22日と7月3日の二度に渡って姫路は空襲を受けました。

7月3日の空襲では中心市街地に焼夷弾が降り注ぎました。姫路城もこのとき天守に焼夷弾を受けましたが、不発弾であったため焼失を免れています。名古屋城や広島城など戦災で焼失してしまった城が多いなか、よくぞ残ってくれたものと思います。
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銀杏落葉
展望台の足元を見ると、目の前で弥生時代の住居の復元作業が進められています。このようにしてひとつひとつ住居が復元されていったのでしょう。大中遺跡の全貌はまだ完全には明らかになっていないようです。
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銀杏落葉
イチョウは黄葉する代表的な樹です。街路樹にも数多く使われ、寺社には巨木が残っているところもよく見かけます。イチョウは世界最古の樹種で裸子植物です。落葉樹ですが広葉樹ではありません。中生代に全世界で最も栄え、新生代に入って以降は各地で絶滅し現在では「生きている化石」と言われています。
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