優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

タグ:長崎市

春の港
松が枝国際ターミナルにクルーズ船が入ってきたのが見えました。コロナで壊滅的な打撃を受けたといわれるクルーズ船業界ですが、復活しているのです。この後、路面電車の中で何人かのクルーズ船客と思われる白人に会いました。原爆資料館へ向かうようでした。
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旧グラバー邸は国指定重要文化財であり、世界遺産でもあります。長崎湾を見渡せる丘の上に、1863年に建てられた現存する日本最古の木造洋風建築です。日本瓦や土壁(漆喰)が使用され、広い石畳のベランダ、そこにかかるアーチ型の欄間が美しいです。

グラバーは幕末に武器商人として活躍し、蒸気機関車の試走をおこなったり長崎に西洋式のドックを建設するなど近代日本の礎を築くのに大きな役割を果たしました。維新後も日本に留まって、高島炭鉱の経営を行い、国産ビールを育てました。
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躑躅
長崎は高知県最南端の足摺岬あたりとほぼ同じ緯度に位置します。グラバー園ではヤエザクラ、各種のツツジなど姫路より春が一足進んだ花々が咲いていました。晴天の日差しにはすでに夏の気配がします。
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花散る
「グラバーカフェ」の向かいに蝶々夫人を演じる三浦環の銅像があります。三浦環(1884-1946)は日本で初めて国際的な名声を得たオペラ歌手です。1910年代から30年代に渡って欧米各地でオペラに出演しました。

中でもプッチーニの『蝶々夫人』を得意とし、「マダム・バタフライ」の愛称で呼ばれました。『蝶々夫人』は長崎を舞台に士族の娘・蝶々さんとアメリカ人海軍士官ピンカートンの悲恋を描いています。

第二次世界大戦後、旧グラバー邸で暮らした進駐軍の大佐夫人はここから見える風景に魅了され「マダム・バタフライ・ハウス」と呼んだそうです。
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八重桜
グラバー園内にはいろいろな花が植えられ、いまはツツジ類とヤエザクラがきれいでした。グラバーが暮らしていたころのグラバー邸の範囲はどれほどのものかはわかりませんが、これだけの土地を維持管理するのは大変な人手がかかるでしょう。
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春暑し
この日は快晴で気温があがりました。シャツ一枚で歩いてちょうどいいほどです。園内の中心エリアに「グラバーカフェ」というオープンカフェがありました。そこでソフトクリームを買い、テーブルに座って舐めました。濃厚で美味しかったです。
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つつじ
グラバー園の中では坂道を活かして建物が建てられ、その間に噴水や花などが配置されています。さまざまな場所から海を眺められるようになっており、これが魅力のひとつです。対岸は三菱重工業長崎造船所で、湾内は多くの船が出入りしていました。

トーマス・グラバーはスコットランドのアバディーン近郊で七男一女の五男として生まれました。18歳のときにジャーディン・マディソン商会から派遣されて上海に渡り、そこでビジネスを展開します。

その後、日本の開国にさらなるビジネスの可能性を感じ、21歳で来日しました。20歳になるかならずで異国でのビジネスを開始するあたり、この時代の人々の逞しさを感じます。その後、彼は生涯日本で暮らし、晩年は東京に移ってそこで亡くなっています。
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のどか
グラバー園では旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅の三軒が重要文化財に指定さています。いずれも明治初期の洋風建築の様子を伝えるものです。これらの住宅の主たちは維新の志士たちとの交流も深く、近代日本の成立に大きな役割を果たしました。

旧三菱第2ドックハウス、旧長崎高商表門衛所、旧長崎地方裁判所長官舎、旧ウォーカー住宅、旧スチイル記念学校、旧自由亭など移築された建物も6軒あり、ゆっくり見て回れば一日使っても十分な見ごたえのある施設です。何よりも長崎湾の眺めが素晴らしい。
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うららか
次にグラバー園へ行きました。路面電車の「大浦天主堂」で降りず、終点の「石橋」まで行き、グラバースカイロードを使いました。こちらを使えば坂道を下りながら園内を散策することができます。しかし、石橋駅からグラバー園へはほとんど案内板がありませんでした。

グラバースカイロードは斜行エレベーターと垂直エレベーターを組合せ、徒歩しか手段のない斜面住宅上部の住人が楽に行き来できるように設置されたものです。観光客が押し寄せるとこれらの人達にとっては生活手段が脅かされるので、それほどアピールされていないのでは、と思いました。

スカイロードを使われる地元の方に行き合わせ、案内していただきました。園内に入ると長崎湾が見渡せます。貿易商であったグラバーたちはここから出入りする船舶を見たのでしょう。
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春深し
復元されたカピタン(オランダ商館長)部屋は出島最大の建物です。二階には阿蘭陀冬至(クリスマス)を祝う宴の席が再現されています。

出島内を歩いていた時、黒装束に笠を被った怪しげな人が歩いていました。ちょっと変わった趣味の人なのかしら、と思っていたら出島専属ガイドの方でした。当時の門番や出島乙名役人(日本側貿易事務を担当)の姿で定時ツアーの案内をされています。

キリスト教が禁止されていたため、阿蘭陀冬至と言われていたのでしょう。クリスマスはもともとヨーロッパの冬至を祝う習慣にキリスト教が結びついたものですから、本質を表しているといえます。
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