優嵐歳時記

俳句と季語。日本の自然と四季が生み出した美しい言葉を。

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深秋
敦盛の首塚の向かいにシベリア抑留の慰霊碑があります。シベリア抑留とは、第二次世界大戦後、武装解除された日本の軍人らが攻めてきたソ連によって拘束され、各地で奴隷的な強制労働に従事させられたことです。6万人近い人が祖国に帰れないまま亡くなりました。

慰霊碑の前の熊の像の頭をなでると『異国の丘』が一弦琴で流れてきます。抑留されていた兵士たちの間で歌われたシベリア抑留を象徴する歌です。

一弦琴は一枚の板に一本の弦を張っただけの簡素な楽器です。須磨寺は一弦琴発祥の地と言われ、須磨琴とも呼ばれます。兵庫県重要無形文化財に指定され保存会によって保存、伝承がおこなわれています。
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薄紅葉
須磨寺境内には敦盛の首塚があります。平敦盛(1169-1184)が一ノ谷合戦で熊谷直実に討たれたのは3月20日、旧暦では元暦元年2月7日にあたり、須磨寺では毎年旧暦2月7日に源平兵士の追悼法要をおこなっています。

熊谷直実はこの後、法然上人のもとで出家し蓮生と名乗り敦盛の菩提を弔いました。因みに胴塚は須磨浦公園内にあります。
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秋天
須磨寺の三重塔は、弘法大師千百五十年御遠忌、須磨寺開創千百年、平敦盛卿八百年遠忌を記念して、昭和59年(1984)に400年ぶりに再建されました。室町時代様式を基調とし、内部には大日如来が祀られています。

旧塔は文禄5年(1596)の慶長伏見地震で倒壊しました。M7.5前後、畿内の広範囲で震度6相当の揺れであったと推定されています。三重塔が再建されてから11年後に阪神淡路大震災が起きていますが、揺れに耐えて残ったということですね。
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須磨寺は、仁和2年(886)光孝天皇の勅命により聞鏡上人が建立した真言宗須磨寺派の総本山です。奥の院に至る道には十三仏と七福神を巡拝できるよう整備されています。それぞれの神仏の真言が記されており、それを唱えて参拝できました。
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紅葉
須磨寺の正式名称は上野山福祥寺です。しかし、もっぱら通称で知られており源平ゆかりの寺として古くから文人墨客が多く訪れています。芭蕉も「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇」との句を残しています。

境内は桜紅葉が始まっており、その下でティータイムにしました。近くに六地蔵があり、Vサインをしたり万歳したりとそれぞれユニークな表情です。歴史ある古刹ながら、こうした遊び心を感じるものもあちこちにあります。
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一ノ谷の合戦でよく知られているのは平敦盛です。敦盛は清盛の弟である経盛の末子、沖の船に逃れようと汀に馬を乗り入れていたところ、背後から熊谷直実に「敵に背中を向けて逃げるとは卑怯」と呼び止められます。

その場面が須磨寺の境内に銅像になって残されています。この後、敦盛は引き返し直実と組み合って馬上から落とされます。首を切ろうと直実が兜を押し上げると、自分の息子と同じ年頃の美しい少年です。敦盛は15歳でした。

なんとか命を助けられないかと直実は思いますが、背後に味方の軍勢が迫っています。泣く泣く首を落とした直実は、武家に生まれたものの身の辛さを嘆きます。敦盛は腰に笛を携えており、昨夜戦場に響いていた笛はこの人のものであったか、と直実は悟ります。
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