タグ:飛騨高山
餅花に迎え送らるるロビー
元日の陽を浴び山岡鉄舟像
◆元日
高山陣屋の前に山岡鉄舟(1836-1888)像がありました。剣・禅・書の達人であり、江戸無血開城の立役者のひとりである鉄舟は、高山と所縁が深い人物です。
弘化2年(1845)、高山郡代となった父・小野浅右衛門高福、母・磯について彼は高山陣屋へ入りました。嘉永5年(1852)父の死去にともない江戸に戻るまで高山で暮らしており、彼の人間形成は飛騨の風土の中で培われたものと考えられます。
江戸に戻った後は勝海舟や義兄の高橋泥舟らとともに活躍し「幕末の三舟」と呼ばれました。徳川慶喜の使者として駿府に赴き、西郷隆盛と会って江戸無血開城の交渉をまとめました。像の足元には「青雲」との書がありました。

高山陣屋の前に山岡鉄舟(1836-1888)像がありました。剣・禅・書の達人であり、江戸無血開城の立役者のひとりである鉄舟は、高山と所縁が深い人物です。
弘化2年(1845)、高山郡代となった父・小野浅右衛門高福、母・磯について彼は高山陣屋へ入りました。嘉永5年(1852)父の死去にともない江戸に戻るまで高山で暮らしており、彼の人間形成は飛騨の風土の中で培われたものと考えられます。
江戸に戻った後は勝海舟や義兄の高橋泥舟らとともに活躍し「幕末の三舟」と呼ばれました。徳川慶喜の使者として駿府に赴き、西郷隆盛と会って江戸無血開城の交渉をまとめました。像の足元には「青雲」との書がありました。

門松や三つ葉葵の提灯に
やわらかき飛騨牛にぎり明の春
豪華よし簡素またよし飾縄
新春の風受け町を歩きけり
藁の緒をぴんと跳ね上げ注連飾
ほかほかのもなかを食すおらが春
◆おらが春
『高山茶寮三葉』で「紫芋もなか」を食べました。ここは江戸時代に町年寄をつとめた屋貝家の邸宅跡を利用した古民家カフェです。当店自慢と書かれている「三葉もなか」と「紫芋もなか」がありました。紫芋もなかを注文しました。
紫芋ペーストにさつまいもと餡子をはさんだほかほかモチモチ最中です。最中はかなり大きく、子ども用茶碗の直径くらいあります。下に四角い求肥が敷いてありそれで芋と餡子をくるみ、最中皮にはさんで食べます。
紫芋と餡子にとろけるバターと岩塩からみ、なんともいえない美味しさです。求肥で包むことがこのお菓子の発想のキモで、具材がばらけず食べやすくなっています。テイクアウトも可能というのはこれゆえです。

『高山茶寮三葉』で「紫芋もなか」を食べました。ここは江戸時代に町年寄をつとめた屋貝家の邸宅跡を利用した古民家カフェです。当店自慢と書かれている「三葉もなか」と「紫芋もなか」がありました。紫芋もなかを注文しました。
紫芋ペーストにさつまいもと餡子をはさんだほかほかモチモチ最中です。最中はかなり大きく、子ども用茶碗の直径くらいあります。下に四角い求肥が敷いてありそれで芋と餡子をくるみ、最中皮にはさんで食べます。
紫芋と餡子にとろけるバターと岩塩からみ、なんともいえない美味しさです。求肥で包むことがこのお菓子の発想のキモで、具材がばらけず食べやすくなっています。テイクアウトも可能というのはこれゆえです。









